三河 大久保陣屋
Okubo Jinya

大久保陣屋跡・八百富社【愛知県額田郡幸田町坂崎字御屋敷10】
      坂崎公民館【愛知県額田郡幸田町坂崎字御屋敷22−1】
        長福寺【愛知県岡崎市竜泉寺町前田9】

【立地】平地
【別称】坂崎陣屋

【歴史】1614年、大久保彦左衛門忠教〔1560〜1639年〕が2000石で構えた
陣屋である。「大久保氏」はもとは「宇都宮氏(武茂氏)」と称し、「宇津氏」を経て、忠
教の祖父忠茂より「大久保氏」を名乗ったとされる。宇都宮〔武茂氏〕泰藤の代で三河国上
和田〔岡崎市上和田町〕へ移住し、泰昌の代より、松平宗家3代信光に仕えた。忠教は家康
・秀忠・家光3代に仕えたが、2000石の旗本に留まった。松平・徳川家三代の戦歴・功
績を書き記した「三河物語」が有名。忠教の後、1639年忠名―1659年忠隆―166
4年忠直―1702年忠備―1744年忠垣―1789年忠順―1824年忠良と続く。現
在は八百富社に変わり、陣屋跡の石垣が残る。


【所感】国道248号線弁天信号を西へ曲がると、直ぐ右手に八百富社が在ります。坂崎公
民館と神社の間に「平岩の射割石」が在り、拝殿近くに「大久保陣屋跡」の歴史看板が立ち
ます。敷地内には遊具も少しあり、小公園のようです。平岩親吉の先祖氏重は、松平宗家3
代信光に従い、坂崎の城主になった際、この平岩に因んで平岩氏を名乗ったと伝わります。




大久保陣屋跡・八百富社



現存 陣屋の石垣・八百富社



大久保陣屋跡の看板・八百富社




平岩の射割石・八百富社