美濃 大森城
Omori castle

    大森城跡・大森神社【岐阜県可児市大森字宮町2118】
ファミリーマート可児大森店【岐阜県可児市大森字鳩討1087−2】
         第一電通【岐阜県可児市大森690−1】

【立地】平山城

【市指定史跡】

【歴史】大森神社の裏手、丘陵先端〔標高142m、比高40m〕に築かれ、1560年代
、久々利土岐氏家臣奥村元信の子奥村元広の居城とされる。1565年元広は信長の命で金
山城主森可成に仕えたが、1582年「本能寺の変」の後、森長可に対し、米田城主肥田玄
蕃と結んで謀反を企てる。それを知った森長可は大森城を攻撃。元広もよく奮戦したが、最
後、自ら火を放ち、廃城となった。その後、元広は前田利家を頼り、仕えたと云う。現在は
曲輪、土塁、堀切、横堀などが残る。


【所感】ファミリーマート可児大森店の信号交差点から北西へ400m程走った三叉路〔第
一電通〕を左へ入ります。140m程進む〔大森川を渡る〕と、左手に大森神社へ入る道が
あり、突き当りが神社〔訪城用〕の駐車場です。大森神社鳥居横に縄張り図のチラシがあり
ますので、参考にされると良いと思います。登城口は神社の左方で、真っ直ぐ行くのではな
く、右に上がって行く道になります。目立ちにくいですが、足元に「大森城→」と書かれた
低い標柱が立っており、城跡の入口まで導いてくれます。私は縄張り図を持参していたので
、南端の曲輪から順に撮って行きましたが、城の虎口は主郭東側の横堀を通って、城郭の北
端になります。東から入って南に折れ、スロープを上る立体的な枡形虎口です。上がった平
地が四の郭。南端に土壇、櫓台のようなものが在りますが、監視櫓が建っていたのでしょう
か。四の郭の西隣りには二段から成る二の郭、北・西・南端に土塁を持っています。主郭の
北側には枡形虎口、或いは馬出しのような曲輪が在り、主郭に至ります。振り返ると、主郭
北側は、枡形虎口から四の郭→二の郭〔二段〕→枡形曲輪と高低差を持たせて護る形となっ
ています。それに対し、主郭南側は尾根続きとなる為、主郭⇔三の郭、三の郭⇔五の郭間に
堀切を設けて曲輪の独立化を図り、三の郭においては西・南端に高い土塁を設けて、更に護
りを固める形を取っています。主郭を護る為に東西に横堀と土塁を置き、南北に性格が違う
複数の曲輪を配置する大森城。コンパクトながら面白い城跡です。





大森神社の入口・大森城跡の石碑




大森神社



大森神社左方の登城口



登城道



城跡入口





主郭東側の横堀と土塁





城郭北端の枡形虎口



枡形虎口から上がった四の郭





四の郭南端の土壇・櫓台?



四の郭西隣りの二の郭下段



二の郭下段西端の土塁



二の郭上段



二の郭上段南端の土塁



主郭北側の枡形曲輪





主郭





主郭南虎口−三の郭間の土橋と堀切



主郭南側の三の郭





三の郭西端の土塁





三の郭南端の土塁



三の郭−五の郭間の堀切





三の郭南側の五の郭



五の郭西側の堀切