三河 三木城
Mitsuki castle

      三木城跡【愛知県岡崎市上三ツ木町城堀37】
       浄珠院【愛知県岡崎市上和田町北屋敷55】
諏訪神社・渡古戦場跡【愛知県岡崎市渡町井領7−1】

【立地】平城

【三木松平家】信孝 ― 重忠 ― 忠清

【歴史】築城年は定かではない。松平宗家6代信忠の次男信孝〔〜1548年〕が三木へ移り住み
、三木松平家の祖となる。1535年「守山崩れ」で松平宗家7代清康没後、信孝は岩津松平親長
と信孝の弟康孝の領地を横領し、松平宗家を脅かす存在となる。岡崎老臣衆は宗家の危機を感じ、
病気の8代広忠に代わり、信孝を駿府〔今川義元〕の年頭参賀へ行かせ、不在の間に信孝の知行、
屋敷を占拠。これを不服とした信孝は、織田信秀方へ与し、1543年信孝を追放。1547年信
孝は上和田城主松平忠倫、上野城主酒井左衛門尉らと共に織田信秀軍として岡崎城へ出陣し、矢作
川を渡って来た岡崎勢を渡河原〔渡古戦場〕で撃破した。1548年「小豆坂の戦い」を経て、明
大寺「耳取縄手の戦い」で信孝は広忠軍の矢に当り戦死した。2代三木城主重忠は松平宗家8代広
忠、9代家康に仕え、1590年家康関東移封に伴って移り、大番頭になったが、3代忠清に嫡子
が無く断絶した。現在は住宅、畑になっている。


【所感】県道479号線下三ツ木信号交差点を東へ進み、東海道新幹線手前の三叉路を左へ進みま
す。300m程進んだ三ツ木町北島信号五叉路を真東方向へ入ったビニールハウスが在る耕地が城
跡とされます。城堀と云う地名は上三ツ木町、下三ツ木町の両方に跨がって在り、地元の方に聞い
た話では、上三ツ木町に「城」と呼ばれているお宅が在り、そのお宅を遠くに入れて写真を撮って
みました。三木松平家初代信孝のお墓は岡崎市上和田町北屋敷の浄珠院に在ります。


 

三木城跡辺り〔写真:左〕松平信孝公之墓・浄珠院〔写真:右〕




渡古戦場跡・諏訪神社/渡古戦場の説明看板/渡古戦場跡の石碑