三河 宮石城
Miyaishi castle

宮石城跡【愛知県岡崎市宮石町小屋野】

【立地】丘城

【宮石松平家】乗次 ― 元次 ― 貞次 ― 宗次 ― 康次 ― 正次 ― 正成 ― 正勝 ― 正常 …

【歴史】築城年は定かではない。標高60m、比高20mの尾根端に築かれた城とされ、大給松平家初
代松乗元の三男乗次が三河国額田郡宮石郷を領して宮石松平家の祖となる。元次−貞次を経て、宗次は
松平宗家8代広忠・9代家康に仕え、1560年「桶狭間の戦い」で討死。1544年宮石松平家5代
康次〔1544〜1615年〕は宮石城に生まれ、1558年より家康に仕え、1581年「高天神城
の戦い」、1584年「小牧、長久手の戦い」で戦功を挙げ、家康の五男信吉の傅役となる。1603
年信吉没後、三河国設楽郡内で460石を得て、目付となる。1605年伏見城番、1614年「大坂
冬の陣」で駿府城留守居役を務め、1615年「大坂夏の陣」の際、駿府城で没した。康次の次男正次
〔1584〜1637年〕が6代を継ぎ、2500石の旗本として正成−正勝−正常−正命−正淳−正
職−正邦と続いた。現在は曲輪、井戸が残る。


【所感】県道338号線奥殿陣屋信号T字路から滝脇方面へ1400m程進むと、郡界川桜橋手前の右
手に戻るように坂道が在ります。その坂道を上り切ると、一軒家〔宮石町小屋野13〕と削平地が在り
、更にスロープ状の道から山へ入って直ぐ右折すると、磯谷家由緒碑、井戸跡、城址碑が在ります。現
地の人に教えてもらわないと、少し分かり辛いかも知れません。裏手に別の道〔宮石町小屋野18の横
道〕も有りますが、何処から行っても城址を案内する標柱は有りません。


 

県道338号線からの入口〔写真:左〕城跡入口〔写真:右〕

 

磯谷家由緒碑碑〔写真:左〕豊後府内藩を中心とした大給松平家系図〔写真:右〕

 

宮石城址跡の石碑〔写真:左〕石灯篭・井戸跡〔写真:右〕

 

宮石松平の歴史碑・三重の石塔〔写真:左〕祠〔写真:右〕