三河 主計屋敷
Kazue residence

主計屋敷跡【愛知県岡崎市明見町田代】

【立地】平地
【別称】生田屋敷・鷹部屋

【歴史】時期は定かではない。奥平氏五老の一人生田氏の屋敷とされる。生田氏は奥平家2
代貞久の時、宝飯郡佐脇村の領主生田四郎兵衛主計が来属し、3代主計が額田郡宮崎村へ移
ったと云う。4代式部重綱は、1556年8月「雨山合戦」で奮戦したが、1558年名倉
船戸橋で戦死。5代市蔵は、1560年丸根城戦で戦死。6代四郎兵衛勝重は、1575年
「長篠・設楽原の戦い」で武田の高坂昌澄を鉄砲で倒した。1620年宇都宮で没する。鷹
部屋と呼ばれる地で、鷹の飼育小屋を含む施設であったとされる。現在は栗林となり、遺構
は無い。


【所感】宮崎神社の南西100m程に秋葉社の灯篭が1つ在り、灯篭の東側一帯の栗林が屋
敷跡とされます。石垣が組まれて一段高くなっています。





主計屋敷跡・栗林