三河 主計屋敷
Kazue residence
主計屋敷跡【愛知県岡崎市明見町田代】
伝正院【愛知県岡崎市明見町田代130】
岡崎森林組合【愛知県岡崎市明見町田代9−1】
【立地】平地
【別称】生田屋敷・鷹部屋
【歴史】時期は定かではない。奥平氏五老の一人生田氏の屋敷とされる。生田氏は奥平家2
代貞久の時、宝飯郡佐脇村の領主生田四郎兵衛主計が来属し、3代主計が額田郡宮崎村へ移
ったと云う。4代式部重綱は、1556年8月「雨山合戦」で奮戦したが、1558年名倉
船戸橋で戦死。5代市蔵は、1560年丸根城戦で戦死。6代四郎兵衛勝重は、1575年
「長篠・設楽原の戦い」で武田の高坂昌澄を鉄砲で倒した。1620年宇都宮で没する。近
辺を鷹部屋とう呼称があり、鷹の飼育小屋を含む施設であったと考えられる。具体的な場所
は不明である。
【所感】伝正院の南方の栗林、あるいは機材・資材置き場辺りが主計屋敷と思われるが、明
確な場所は分かりません。
主計屋敷跡辺りか