伊勢 茂福城
Mochifuku castle

茂福城跡【三重県四日市市茂福町26】
茂福神社【三重県四日市市茂福町27】

【立地】平城

【市指定史跡】

【歴史】応永年間(1394〜1423年)、平維茂の後裔平貞冬が越前国朝倉から戦乱を
避けてこの地へ逃れ、城を築いて朝倉氏を名乗ったと云う。代々足利氏に仕えて茂福を領し
、貞冬から3代目の盈盛に至り、織田信長から国司北畠氏討伐の助勢を命ぜられたが、容易
には応じず、反抗の姿勢を見せた。保々西城主朝倉詮真・中野城主中野藤太郎・富田城主南
部兼綱らと盟約を結んで、小豪族連合で事に当たろうとした。下野守盈盛の代では事なきを
得たが、その子掃部助盈豊の代で近江六角義賢〔承禎〕との内通の噂が流れ、1567年〔
1571年とも〕滝川一益に長島城で誘殺された。1568年〔1572年とも〕には保々
西城・中野城・富田城・羽津城も一益に滅ぼされた。現在は城址碑と看板が立つ。

【所感】近鉄名古屋線を跨ぐ県道64号線高架上から見える木々の塊が城跡です。茂福神社
の西方150mに位置します。線路側から見える「茂福城跡」の大きな看板は以前には無か
ったものです。木々の中には城阯碑と歴史看板が立っています。







茂福城跡