美濃 森部城
Moribe castle

森部城跡【岐阜県安八郡安八町森部】
 薬師堂【岐阜県安八郡安八町森部2831】

【立地】平城
【別称】河村氏屋敷

【町指定史跡】

【歴史】河村久五郎将昌の屋敷とされる。信長に仕え、1561年5月「森部の戦い」に
に従軍。信長は西美濃へ侵出しようと、本郷村から長良川を渡って森部村へ進軍。斎藤軍
6000に対し、信長軍は1500。三軍に分けて、敵を挟み撃ちにして信長軍が勝利。
前田利家も活躍し、将昌も敵方の神戸甚助〔将監〕を打ち取る手柄を立て、信長より感状
を受けた。河村氏は津島社禰宜の家柄で、父の河村秀影は「津島九郎大夫」を称し、15
62年没後、兄の河村秀綱が神職を継いだ。1574年秀綱没後、将昌が兄の養子となっ
て、神職と九郎大夫の称を継いだ。現在は住宅となり、遺構は無い。

【所感】長良川の西岸、安八コミュニティバス森部下屋敷バス亭が立つ森部区公民館に森
部城址の看板が立っています。場所はハッキリしませんが、岐阜県中世城館跡総合調査報
告書によると、森部城は1つ北の区画らしく、看板が立つの区画〔森部区公民館・下屋敷
公民館・金峯神社〕が稲葉佐渡守正成の屋敷が在った場所と思われます。森部下屋敷バス
停の道を1.3キロ程南下すると、右手に薬師堂が在ります。この辺りが「森部の戦い」の
合戦地、勝利した信長が首実検を行った場所のようです。更に60m程進んだ左側〔大森
霊苑の前〕に2本の松と「出世の松」の石碑が立ってます。ここに斎藤軍の猛将足立六兵
衛を倒して活躍した前田利家が信長より300貫を賜った話が書かれています。2本の松
は2代目ですが、信長の「鎧掛けの松」とも言われています。





森部城址の看板・森部区公民館




「森部合戦の古戦場・薬師堂」の看板・「永禄四年織田斎藤両軍古戦場」の石碑・薬師堂



永禄四年五月十三日古戦場之墓・薬師堂



出世の松〔2代目〕・大森霊苑前