陸奥 盛岡城
Morioka castle

     盛岡城跡【岩手県盛岡市内丸】
もりおか歴史文化館【岩手県盛岡市内丸1−50】

【立地】平城
【別称】不来方城

【国指定史跡】盛岡城跡

【歴史】1590年豊臣秀吉の「小田原征伐」に参戦した三戸城主南部信直は、秀吉より南部内七郡の
所領を安堵された。参戦しなかった周辺の諸大名は、1591年奥州仕置によって処分されるが、それ
を不服として葛西・大崎一揆、和賀・稗貫一揆、九戸政実の九戸合戦等が起こり、南部信直は羽柴秀次
らの援軍を得て鎮圧した。和賀・稗貫・紫波が加えられ、10万石で盛岡藩〔南部藩〕を立藩。秀吉の
重臣浅野長政のすすめにより、不来方に築城を計画。1597年信直の嫡子南部利直を総奉行に鍬初が
行われ、1598年着工するが、翌1599年信直が没し、遺領は利直が継いだ。1600年「関ヶ原
の戦い」で家康方に参陣し、上杉景勝に抗戦して本領を安堵された。盛岡城近くを流れる中津川・北上
川の氾濫によって工事が幾度か中断し、三戸城〔青森県三戸町〕・福岡城〔岩手県二戸市〕・郡山城〔
岩手県紫波町〕などを完成するまでの仮居城としていた。1632年8月利直は盛岡城入城目前で江戸
桜田の上屋敷で亡くなり、1633年嫡子南部重直の代で城は完成した。その後、1664年重信−1
692年行信−1702年信恩−1708年利幹−1725年利視−1752年利雄−1780年利正
−1784年利敬−1820年利用−1825年利済−1848年利義−1849年利剛−1868年
利恭と続いた。廃藩置県の後、1872年陸軍省所管となり、1874年城内の建物は破却されたが、
1906年岩手公園として整備され、2006年開園100周年記念で盛岡城跡公園と改称された。現
在は石垣、曲輪、井戸跡、堀跡などが残る。


【所感】北上川と支流中津川の合流点に位置し、城を囲むように四方に城下町が発展しています。現在
も道は細く、鍵の手のなっている箇所もあり、一方通行が多いので、車での走行は気を付けなくてはい
けません。街中に鎮座する石垣の山。盛岡城跡は石垣しかないと思うかもしれませんが、石垣好きとし
ては、これだけあれば“おかず”はいりません。ただ残念だったのは、天候がイマイチで、満足いく写
真が撮れなかったことです。


 

本丸北西角の石垣〔写真:左〕本丸南西角の石垣〔写真:右〕

 

二の丸−本丸間の石垣〔写真:左〕淡路丸北東角の石垣〔写真:右〕



二の丸西端の石垣

 

亀ヶ池・下曲輪の西側〔写真:左〕鶴ヶ池・下曲輪東側〔写真:右〕

 

榊山稲荷曲輪の井戸跡〔写真:左〕時鐘・鶴ヶ池北東角〔写真:右〕