陸奥 若林城
Wakabayashi castle

若林城跡・宮城刑務所【宮城県仙台市若林区古城2丁目3−1】
刑務所作業製品展示場【宮城県仙台市若林区古城2丁目5−12】

【立地】平城
【別称】若林古城・小泉古城・小泉城

【歴史】1601年仙台城を築いた伊達政宗は、慶長年間(1596〜1615年)後期に
なると広瀬川対岸の花壇に屋敷を築き、そこで過ごすことが多くなった。1627年2月幕
府に仙台屋敷構の普請を願い出て、老中土井利勝らが「心のままに普請あるべし」と許可し
たのが若林城である。城の周辺は湿地帯であり、大雨で土居が崩れるなど工事は難航したが
、1628年11月に完成すると政宗は直ぐに城へ入った。江戸から帰郷の際、当城に常在
したことから隠居城とも云われるが、政務も執ったようだ。城下には一門以下の家中が屋敷
を連ね、米町・絹布町などの町屋敷、若林町奉行が置かれ、仙台城とは異なる独立した城下
町を形成していた。1636年70歳を迎えた政宗は体調が優れず、4月20日若林から江
戸へ発つ際、若林城について「5月の梅雨頃になったら南西に杉を植えること」「屋敷はも
との耕地にしてよいが、堀一重は残すこと」などを申し付けたが、出立して1ヶ月後、江戸
藩邸で亡くなった。跡を継いだ2代忠宗は若林城を廃城とし、家臣たちも若林を離れた。1
639年城内の建物は仙台城二の丸へ移され、瑞鳳殿の構内に在った御供所は若林城の書院
を移したもの、松音寺・正楽寺の山門も若林城から移築したと伝わる。城跡は若林薬園とな
り、人参などの薬草が栽培された。明治に入り、14代宗基の所有地として桑畑になったが
、1878年警視庁が買い上げ、1879年宮城集治監を設け、1922年宮城刑務所に改
称。現在も土塁、堀などが残る。

【所感】天気が良くないこともあり、石碑と看板を撮るだけで止めてしまったが、次回は必
ず南側の堀、塀が乗る土塁を撮りたいと思います。





若林城跡の石碑と看板・刑務所作業製品展示場前