三河 長江城
Nagae castle

長江城跡【愛知県北設楽郡設楽町長江字松ヶ根】

【立地】山城
【別称】永江城

【町指定史跡】長江城址
【町指定天然記念物】遠山家のヒノキ

【歴史】建久年間(1190〜1199年)、源平合戦の軍功により源頼朝から永江荘〔永
江八巴:設楽町の永江・向林・奴田・柿平・東路・津具、東栄町の小林、豊根村の大沢〕の
地頭職に任命された永江八郎時俊が、城ヶ峯〔標高737m、比高530m〕に築いた城と
云う。その後、七代を経て、宗俊の時、南朝に属して以来、家俊−顕俊−顕綱と各地を転戦
した。1424年13代永江満綱・尚綱兄弟は尹良親王を奉じて信濃から三河へ潜入途中、
信濃国波合で地侍の襲撃に遭い、親王と共に討死した。この時、幼少であった嫡子盛綱は吉
良の外祖父斉藤則盛に養育されることになり、永享年間(1429〜1441年)渥美の赤
羽根に移った為、長江城は廃城となる。現在は山林となり、曲輪が残る。

【所感】国道257号線×国道473号線が交差する「大田口」信号丁字路から国道473
号線へ入り、180m程進んだ「田口小学校南」信号から左の県道427号線〔坂宇場津具
設楽線〕へ上って行きます。道なりに4キロ程走った右手に「長江城址?230mP」「町
道12号氏神松ヶ根線」の標柱が立っていますので、ココを右折してS字カーブを登り切っ
た右手に長江城址のPがあります。登城口は3つ有りますが、Pから60m程戻った登城口
@から登ると、大手口→三の曲輪→二の曲輪→本曲輪→サカモリザ峠〔堀切〕→大沢寺跡の
順で遺構が確認出来るのでお薦めです。三の曲輪・二の曲輪はとにかく広大で、広角レンズ
でも納まらない驚きの広さです。三の曲輪→二の曲輪への移動は適当に斜めに登って行けば
到達出来る傾斜ですが、二の曲輪→本曲輪は急斜面になるので、縄張図に描かれたジグザグ
道で登りたいところですが、道が見当たらないので、適当に登って行くと途中からジグザグ
道が現われます。本曲輪は三の曲輪・二の曲輪のような広さは無く、楕円の形をしています
。本曲輪東下の堀切は、本曲輪の城址碑・看板の背後から朽ちた丸太階段を下りて行きます
が、中世伊那道のサカモリザ峠と呼ばれる場所で、堀切というより切通しのような感じです
。サカモリザ峠から東へどんどん下って行くと、長江城主永江貞俊が葬られ、貞俊の子了厳
が住職を務めた大沢寺跡に着きます。大沢寺跡の標柱から右に進むと登城口A、左へ進むと
登城口Bと70m先に「遠山家のヒノキ」があります。





町道氏神松ケ根線入口



長江城跡駐車場



大井戸(おいど)の祠・井戸跡



登城口@





登城道@



大手口



三の曲輪









三の曲輪→二の曲輪までの道











二の曲輪







二の曲輪→本曲輪までの道











本曲輪







本曲輪→堀切 or 切通しまでの道









本曲輪東下の堀切 or 切通し・伊那道サカモリザ峠







サカモリザ峠→大沢寺跡への道





大沢寺跡





大沢寺跡→登城口Aへの道



登城口A



登城口B



遠山家のヒノキ【町指定天然記念物】