三河 長篠城
Nagashino castle


長篠城跡・長篠城址史跡保存館【愛知県新城市長篠字市場22−1】
      設楽原歴史資料館【愛知県新城市竹広552】
           桃牛寺【愛知県新城市的場82】

【立地】丘城
【別称】末広城・扇城・長篠村古城

【国指定史跡】長篠城跡

【歴史】寒狭川〔豊川〕、宇連川の合流点標高60m、比高30mの段丘上に位置し、15
08年荒尾の岩古谷城主菅沼満成の嫡男菅沼元成が築いた城である。1560年「桶狭間の
戦い」の後、菅沼貞景は徳川方となる。1571年伊那の秋山氏、犬居の天野氏に攻められ
、菅沼氏は武田方に寝返り、1572年「三方ヶ原の戦い」で徳川軍と対峙する。1574
年武田信玄が亡くなると、家康は菅沼正定の長篠城奪回に動く。同族の三河亀山城主奥平貞
能・貞昌〔信昌〕父子との内通により、家康の長女亀姫を妻に与えることで、容易に奪回。
1575年、武田勝頼軍×織田・徳川軍の「長篠、設楽ヶ原の戦い」が始まる。武田騎馬隊
に対し、信長は馬防柵と鉄砲隊3列3000挺を構え、設楽ヶ原で迎え撃ち、織田・徳川軍
の圧倒的勝利に終わる。信昌は亀姫を正室に迎えて新城城へ移り、1576年廃城となる。
現在は曲輪、土塁、空掘が残る。

【所感】国道151号線を北上し、長篠信号手前を右へ入ると、長篠城址史跡保存館が在り
、その奥が本丸跡になります。長篠、設楽ヶ原の戦いで有名なこの地は、子供から大人まで
多くの人が訪れます。史跡保存館では、合戦ゆかりの資料、展示品、ビデオなど、往時の様
子、地域のいろいろを知ることが出来ます。城跡は土塁、空堀、本丸など、名称看板や説明
看板が立ち、分かりやすくなっています。近くの牛渕橋から、長篠城郭全体が見え、川に挟
まれた要害の地であったことを伺い知ることが出来ます。少し離れた設楽原歴史資料館を西
へ下った連吾川横に馬防柵が復元され、両軍1万6000人の戦没者を埋めた大塚と小塚、
戦没者供養塔が資料館南に在ります。





長篠城跡全景



長篠城弾正郭の移築門・桃牛寺





主郭




長篠城址の石碑・主郭土塁上



長篠城趾の石碑・主郭入口



長篠城本丸跡の碑













主郭北側の空堀







主郭北端の土塁



主郭×野牛郭間を走るJR飯田線



野牛郭

 

殿井と殿井の石碑・野牛郭跡

 

野牛郭の石碑と野牛郭跡〔写真:左〕櫓跡の石碑〔写真:右〕

 

帯郭の石碑〔写真:左〕長篠城址史跡保存館・帯曲輪〔写真:右〕

  

蟻封塔の石碑・蟻塚〔写真:左〕大手門趾の石碑〔写真:中央〕巴城郭趾の石碑〔写真:右〕

  

糧庫趾・倉屋敷の石碑〔写真:左〕瓢郭趾の石碑〔写真:中央〕搦手門趾の石碑〔写真:右〕


  

弾正郭趾・弾正郭の石碑〔写真:左〕家老屋敷趾の石碑〔写真:中央〕史跡 指定地境界の石碑〔写真:右〕



織田+徳川連合軍×武田軍が対峙した連吾川



古文献と時代考証から復元された三段構え(堀・柵・土塁)の場防柵