筑前 名島城
Najima castle

名島城跡【福岡県福岡市東区名島1丁目・3丁目】

【立地】平山城

【市指定有形文化財】名島門

【歴史】天文年間(1532〜1555)、立花山城主立花鑑載が築いた端城で、一方を山
、三方を海に囲まれた城であった。1587年6月25日、小早川隆景が筑前一国、筑後・
肥後の一部33万6000石を領有した時、豊臣秀吉も設計に加わって新しく改築したと云
う。1595年隆景は領国を養嗣子秀秋〔秀吉の甥〕に譲り、自らは備後国三原城に隠居、
1597年7月26日に没した。1597年1月〜1598年12月「慶長の役」で秀秋は
総大将として朝鮮へ出陣。1600年「関ヶ原の戦い」の後、備前国岡山51万石へ移封。
黒田長政は西軍の小早川秀秋・吉川広家を味方に入れた功績により、筑前国52万石を得て
名島城へ入る。城地が狭く、不便であった為、直ぐに福岡城の建設が始まり、1602年長
政は福岡城へ移り、名島城は廃城になった。建物・石垣は福岡城に転用されたと云う。現在
は曲輪、石垣の一部が残る。


【所感】城跡とされるエリアは本丸〔名島城址公園〕、弁天曲輪〔名島神社〕、南丸〔名島
弁財天・宗栄寺〕、西に続いていた二の丸〔名島3丁目の北端、林の囲まれた住宅エリア〕
・三の丸〔三の丸団地全体〕で、二の丸・三の丸は削平され、福岡都市高速道路1号香椎線
が分断する形で通っています。三方が海であった城も、埋め立てられ、海から少し入り込ん
でいます。縄張り図と現在の地図が重なった看板が、城跡にあったらいいなと感じました。




名島門(名島城脇門)【市指定有形文化財】・福岡城跡



名島城跡の石碑・本丸



隅櫓跡・本丸





本丸枡形虎口跡



名島城址公園入口・弁天曲輪





名島神社・弁天曲輪



名島弁財天・南丸