能登 七尾城
Nanao castle

七尾城跡【石川県七尾市古城町】

【立地】山城
【別称】松尾城、末尾城

【国指定史跡】

【歴史】1408年畠山満慶が能登の守護職に任ぜられ、守護所を香島津府中〔七尾市府中
〕に置き、正長年間(1428〜1429年)頃、砦程度ものが築かれたと思われる。その
後、2代義忠−3代義統−4代義元と代を重ねる中で改修、拡張が行われ、5代慶致の頃、
山麓の府中から山頂付近〔標高300m〕の七尾城へ守護所が移されたと云う。6代再び義
元−7代義総を経て、8代義続−9代義綱の頃、能登で戦乱が続いた為、増築され、最大の
縄張りになったとされる。また、「七尾」の地名は、七尾城が築かれている尾根が7つ在る
ことに由来すると云われている。10代義慶を経て、1575年11代義隆の時、信長の越
前侵攻が始まり、翌1576年には上杉謙信の越中侵攻が始まった。同年、義隆が病没し、
若年の11代春王丸は謙信との和睦を拒否し、七尾城は上杉軍に包囲された。しかし、重臣
の長続連、遊佐続光、温井景隆らの対立を収めることが出来ず、七尾城は孤立し、1577
年落城となった。この後、「手取川の戦い」で信長軍は上杉軍に敗れたが、1578年上杉
謙信死後、飛騨国を経由して越中へ攻め入り、やがて能登も信長勢力下となった。1581
年能登23万石で前田利家が七尾城へ入るが、1582年海に近い小丸山に城を築いて移り
、廃城となる。1934年国史跡に指定され、曲輪、石垣、土塁、空堀などが多く残る。

【所感】国道159号線城山登山口信号交差点を東へ曲がり、県道177号線を山上へ向っ
た最終地点が七尾城跡になります。左手にトイレ、右手に駐車場が在る場所です。更に進む
と城山展望台に至ります。「戦国の名城・七尾城」の縄張り図を見、その下に置かれた無料
のパンフレット用紙〔縄張り図〕を片手に散策すると良いと思います。旅行の一環として訪
ねたので多くの時間が取れず、おまけに悪天候で陽光待ちが多くありましたが、何とか桜馬
場下の5段石垣が撮れたので満足しています。「日本五大山城の一」「日本100名城の一
」「国指定史跡」と多くの肩書きを持つ七尾城。次回、訪城の際は、二の丸、三の丸までし
っかり周って、しっかり写真に収めたいと思います。



 

 

桜馬場下の5段石垣

 

調度丸の石塁(中央下)〔写真:左〕遊佐屋敷(左)と桜馬場(右)を仕切る石塁〔写真:右〕

 

本丸登城道脇の石塁〔写真:左〕本丸の土塁〔写真:右〕