尾張 成瀬屋敷
Naruse residence

成瀬屋敷跡【愛知県知多市新知字美濃川】
 森屋敷跡【愛知県知多市新知字下森】
  妙楽寺【愛知県知多市新知字下森29】

【立地】平地
【別称】御屋敷

【歴史】1615年成瀬正成の弟成瀬正則は、家康より尾張徳川義直に仕えるように命ぜら
れ、1639年古見村〔新知〕他6村2000石を得、後に3000石に加増され、城代職
にも任じられた。1671年長男長則が継ぎ、1692年大寄合から家老、4000石に加
増、1693年藩の方針で公収されて蔵入地となった。1754年成瀬正信の子正利が古見
一円を再給地され、屋敷を構えて代々が居住した。その後、正恕−正邦−正方−正的−正直
と明治まで存続した。屋敷周辺は家臣の屋敷が配され、美濃川を隔てた南岸に家臣の森屋敷
が在り、森橋とか御屋敷橋と呼ばれる橋で繋がっていた。尾張藩主12代徳川斉荘が知多へ
巡検するに伴い、屋敷の普請・作事を行っている。1869年当所を引き払って名古屋へ移
住した。現在は住宅に変わり、遺構は無い。


【所感】成瀬屋敷跡は字美濃川の南西エリア辺り、森屋敷跡は極楽寺の東側に在ったとされ
ます。海に近いので美濃川は潮の香りがしますが、川の中に亀が沢山いて驚きます。




成瀬屋敷跡辺り




森屋敷跡辺り