美濃 西高木家陣屋
Nishi Takagi Jinya

 西高木家陣屋跡【岐阜県大垣市上石津町宮236−1】
上石津郷土資料館【岐阜県大垣市上石津町宮237−1】

【立地】丘城
【別称】多良城・多羅城

【国指定史跡】

【歴史】1600年「関ヶ原の戦い」で先導役の軍功により、1601年石津郡多良・時郷
4300石を与えられ、標高128m、比高12mの台地端に西高木家の陣屋が築かれた。
高木貞利2300石〔西高木家〕、高木貞俊1000石〔北高木家〕、高木貞友1000石
〔東高木家〕の三家から成る大名格の交代寄合美濃衆〔高木三家〕は、知行地に住みながら
、江戸屋敷を持ち、参勤交代も行った。大和国高木郷出身の高木家は伊勢へ移り、1528
年美濃国石津郡へ入る。初代高木貞政は斎藤道三、斎藤義龍、2代高木貞久は織田信長・信
孝に仕え、揖斐川左岸の今尾を居城とした。3代高木貞利は、1584年「小牧、長久手の
戦い」の際、織田+徳川方で参戦。1590年「小田原征伐」の後、高木家は甲斐国の加藤
光泰の家臣となり、朝鮮出兵に従軍。1595年徳川家康に召し出され、上総国へ移った。
1601年多良に陣屋を築き、1624年〜明治維新まで代々木曽三川〔揖斐川・長良川・
木曽川〕に於ける川通御用を勤め、笠松代官所と連携して河川管理・治水対策に携わった。
西高木家は3代貞利の後、貞盛→貞勝→貞則→衛貞→貞輝→篤貞→貞臧→経貞と続き、貞広
で明治を迎える。1996年県指定史跡、2014年国指定史跡に昇格した。現在は上石津
郷土資料館、駐車場に変わり、長屋門、石垣、1896年新築の主屋が残っている。また、
東高木家陣屋跡に土蔵が残り、大垣市重要文化財に指定されている。


【所感】大垣市コミュニティバス「宮」バス停、名阪近鉄バス「宮」バス停、2つのバス停
の背後に連なる石垣が西高木家陣屋跡の遺構になります。陣屋に沿って道を登ると、上石津
郷土資料館です。資料館前の駐車場が下屋敷が有った場所、資料館の背後、長屋門と非公開
の主家がある場所が上屋敷になります。石垣群は上屋敷の東面を支持するもので、埋門から
スロープ状の石段を経て、上屋敷へ上る感じでしょうか?北高木家陣屋跡辺りから西高木家
陣屋跡を見上げると、北面にも石垣が有ることが確認出来ます。東高木家陣屋(消防団の建
物辺り)や北高木家陣屋(更地)の建物は有りませんが、東高木家陣屋跡の端になまこ壁の
土蔵が残っており、大垣市の市重要文化財にしてされています。




現存 長屋門















埋門跡から陣屋東面へ繋がる石垣群



東高木家陣屋跡の現存土蔵【市重要文化財】



土蔵下の石垣