尾張 西浜御殿
Nishihama Palace

西浜御殿跡・熱田奉行所跡・熱田船奉行所跡【愛知県名古屋市熱田区神戸町】
                 宝勝院【愛知県名古屋市熱田区神戸町508】
       あつた蓬莱軒本店・蓬莱陣屋【愛知県名古屋市熱田区神戸町503】
                 景清社【愛知県名古屋市熱田区内田町】

【立地】平地
【別称】西御殿

【歴史】『西浜御殿』1654年尾張藩2代藩主徳川光友が造営したもので、幕府高官、公家、大名の
客館として使われた。1639年に設置された熱田奉行所〔加藤家屋敷の地〕の南隣りで、東西65m
×南北59mの広さであったと云う。現在は住宅に変わり、遺構は無い。『熱田奉行所・熱田船奉行所
』1611年西浜御殿の北隣りに熱田代官所が置かれ、原田右衛門〔2000石〕が国奉行と兼任で務
めた。石黒善十郎〔500石〕―酒井久左衛門〔500石〕を経て、1639年新たに熱田奉行所が設
置され、下方左近貞景〔500石〕が熱田奉行職専任となった。1651年に起った「由井正雪事件」
を機に、1652年熱田湊の管理強化を図る為、熱田船奉行所が西浜御殿の南隣りに設置された。熱田
奉行は下方氏の後、増田―横田―朝比奈―蜷川―増田―西尾―大橋―内藤―広瀬―林―上田―竹腰―鈴
木―馬杉―小畑―箕形―寺西氏と続き、1746年肥田平左衛門の時、船奉行も兼務となった。その後
も鈴木―富永―加藤―鈴木―沢井氏…と続いた。現在は住宅、道路となり、遺構は無い。


【所感】市営神戸荘1号棟・神戸公園・白鳥コミュニティーセンター辺りが西浜御殿跡と思われ、白鳥
消防団詰所前に西浜御殿跡の看板が立っています。熱田船奉行所は宝勝院の南西、市営神戸荘2号棟辺
り、熱田船奉行所は神戸公園区画の南側の区画辺りと思われます。他にもあつた蓬莱軒本店駐車場に宮
の宿赤陣屋跡の看板があり、その北の三角地に景清社などの史跡もあります。





西浜御殿跡の看板


 

熱田奉行所跡辺りか・宝勝院〔写真:左〕熱田船番所跡辺りか〔写真:右〕

 

宮の宿赤本陣跡の看板・蓬莱陣屋駐車場〔写真:左〕景清社〔写真:右〕