三河 西端陣屋
Nishihata Jinya

西端陣屋跡【愛知県碧南市湖西町2丁目41】
  応仁寺【愛知県碧南市油渕町1丁目6】
  康順寺【愛知県碧南市札木町2丁目87】

【立地】丘地

【西端藩】1864~1871年

【歴史】1616年、近江国膳所藩主本多康俊の次男忠相が1000石で構えた陣屋である。1
625年下総国香取郡500石加増、1629年上総国・下総国内2000石加増、1631年
碧海郡1500加増、1634年安房国・上総国3000石加増、計8000石を領した。16
82年忠相没後、2代忠将は上野国新田郡・下野国安蘇郡内1000石の加増を受け、9000
石になる。その後、忠能-忠敝-忠栄-忠直-忠盈-忠和-忠興と続き、1864年10代忠寛
が1万500石〔実高:1万4000石余〕で西端藩を立藩する。1867年忠寛の子忠鵬が継
ぎ、1871年廃藩となる。現在は住宅になり、康順寺に本多忠鵬の墓が在る。

【所感】応仁寺に在る「蓮如ゆかりの郷をめぐる小径」の看板に書かれている「本多候旧居」が
陣屋跡とされ、現在、アパート「コンフォート陣屋」が建っています。長田川・半場川が流れ込
む油ヶ淵北岸の高台に位置し、北方300mの康順寺に最後の藩主本多忠鵬公の墓が在ります。


 

11代藩主本多忠鵬公の墓・康順寺〔写真:左〕西端陣屋跡辺り〔写真:右〕