三河 野田館
Noda yakata

野田館跡【愛知県新城市野田字川原畑

【立地】平地
【別称】千歳野館・定池村古城

【歴史】11世紀末期、藤原季兼〔千秋氏の祖〕が稲木長者〔依田氏〕を滅ぼし、徐々に勢
力を拡大。範忠を経て、1175年3代清季の時、野田館を築いて千秋氏を名乗ったと云う
。清季の後、朝季−朝氏−清氏−行氏−朝重−範重と約160年間続いた。建武の新政(1
334〜1336年)の頃、富永直郷が足利尊氏の命を受け、設楽荘〔富永荘〕の荘司とし
て野田館へ入り、大野田城を砦とした。その後、直兼−高兼−資貞−信資−富資−久兼と続
き、1506年千若丸が若くして亡くなった為、嫡流が断絶した。その後、田峯菅沼家の菅
沼竹千代〔定則〕が養子として入り、1516年野田城を築いて移るまで居住した。現在は
畑地に変わり、遺構は無い。


【所感】野田城跡の南東600mに位置し、豊川に架かる海倉橋北側の土手下に野田館の歴
史看板が在ります。看板の図で見ると、今よりもう少し南に土手が在ったようです。今はそ
の面影はありませんが、野田菅沼氏の始まりの地です。


 

野田館跡〔写真:左〕野田館跡の歴史看板〔写真:右〕