遠江 野地城
Noji castle

    野地城跡・神明社【静岡県浜松市北区三ケ日町都筑】
ミニストップ三ヶ日都筑店【静岡県浜松市北区三ケ日町都筑2174−1】

【立地】平城
【別称】宮崎城

【歴史】1568年家康は今川領遠江を攻略し、佐久城は本多百助信俊、信時に預けられた
。1583年本多平八郎忠勝、本多百助信勝、上村庄右衛門が野地に城を築き、佐久城は廃
された。城主は本多平八郎忠勝、本多百助信俊、本多百助信勝、三浦為春。1680年廃城
。現在はみかん畑、神明社に変わり、水掘跡、土塁などが残る。


【所感】佐久城跡と同じように猪鼻湖へ突き出した半島が野地城跡〔佐久城の北800m〕
です。東西400m・南北200mの広大な城域で、半島の崎に神明宮が在ったことから宮
崎城とも言います。神明宮〔現在は廃宮〕の広場〔ゲートボール場・三の曲輪〕から東の蜜
柑畑へ進むと、右手に城趾碑、更に進んだ右手に堀を見ることが出来ます。左手のミカン畑
内に建物が2つ在りますが、ここが江戸時代に御殿が在ったという二の曲輪、更に進んだ左
手のソーラーパネルの場所が大手曲輪、北東角に土塁の一部が残り、その背後に水堀が残っ
ています。遺構がポツポツと残っていますが、縄張り図が無いと全体像が掴みにくいと思い
ます。私は近くのミニストップに車を止めさせて頂き、歩いて城跡まで行きましたが、軽自
動車ならゲートボール場まで車で行けます。野地公園北側の道を300m程西へ進んで右に
降りて行くと、湖畔の自転車道に出ますが、道路標識を見ると軽自動車のみゲートボール場
まで走行可能になっています。




野地城跡まで続く車道



野地城跡の看板・三の曲輪・ゲートボール場



三の曲輪・ゲートボール場



神明社南の土塁・三の曲輪



野地城趾の石碑



二の曲輪(御殿)







二の曲輪南端の堀跡



大手曲輪(御馬屋)と土塁



外曲輪(蔵屋敷)