遠江 大平城
Odaira castle

大平城跡【静岡県浜松市浜北区大平】

【立地】山城
【別称】大退羅城

【市指定史跡】

【歴史】標高80〜100mの尾根上に築かれた山城である。南北朝時代(1336〜13
92年)、井伊氏は本城の三岳城を中心に鴨江城〔南〕、千頭峯城〔西〕、大平城〔東〕を
支城とし、南朝の後醍醐天皇の皇子宗良(むねよし・むねなが)親王を迎え、遠江国に於け
る南朝勢力の拠点となった。1339〜1340年大平城の南朝軍×足利尊氏の命を受けた
高師泰率いる北朝軍の間で攻防戦が繰り広げられた。1339年7月22日北朝方の高師泰
〔越後殿下〕軍は大平城に侵攻、高師兼〔尾張殿〕軍は浜名方面に侵攻した。7月26日鴨
江城落城、10月30日千頭峯城落城、1340年1月30日三岳城落城、8月24日大平
城は高師泰と遠江国守護仁木義長軍による夜襲で火を掛けられて落城した。南朝方は遠江国
の拠点を失い、宗良親王は信濃国へ落ちたと云う。現在は山林となり、曲輪、堀切が残る。

【所感】新東名高速道路上り線「浜松SA」から見える山が大平城跡です。城跡の入口とな
る五体力神社の石段や駐車場も見えます。「浜松SA」のスマートICが使えるのも便利。
県道68号線沿い「大平城趾 宗良親王御奮闘之地 興国元年八月城陷」の石碑が立つ階段
を登り、五体力神社の右奥が登城口です。前半は小山を1つ超える道、開けた場所に出て、
左方へ進むと、後半の大平城址碑までの登城道になります。大平城跡は中央の浅い谷を境に
東曲輪群・西曲輪群に大別されます。東曲輪群は本曲輪(本丸の鉄柱が立つ)を起点に東方
の尾根に5つの曲輪を設け、堀切に至ります。この堀切は大平城跡で最も良好な遺構ですが
、5つの曲輪はただ自然の尾根が続いているようで、縄張り図をよく見て歩かないと、曲輪
の区別・段差が分かり辛くなっています。本曲輪の北側には三日月型の腰曲輪、南側にも幾
つか腰曲輪らしきものが確認出来ます。西曲輪群も東曲輪群と同じく、曲輪の区別・段差が
分かり辛く、堀切に至ります。また、西曲輪群の付け根から北へ延びる尾根先にも素晴らし
い堀切が在ります。全体的に曲輪の平面度は低く、腰曲輪も傾斜している為、長年の風雨で
崩壊している感もありますが、縄張り図を見ながら回ると、なかなか面白い城跡です。




浜松SAから見た大平城跡




五体力神社・大平城跡入口



五体力神社・大平城跡登城口

 

 

 

 

登城道



大平城址の石碑・本曲輪の下



本曲輪







東曲輪群





東曲輪群東側の堀切



東曲輪群北側の腰曲輪



本曲輪北側の腰曲輪



本曲輪−西曲輪の境となる谷



西曲輪群の付け根から延びる北尾根曲輪





北尾根曲輪北側の堀切



西曲輪群北側の腰曲輪



西曲輪群





西曲輪群西側の堀切