尾張 緒川烽火台
Ogawa Noroshidai

緒川烽火台跡【愛知県知多郡東浦町緒川字上高根台】
 西部中学校【愛知県知多郡東浦町緒川字西高根1−5】

【立地】丘地
【別称】高根山烽火台

【歴史】1853年頃、標高83mの丘陵上に置いた尾張藩の烽火台で、知多半島に於ける
亀崎烽火台と大高烽火台の中継を目的に設置された。師崎で異国船を発見した場合、師崎か
ら順に大井→布土→長尾山→亀崎→緒川→大高と烽火を揚げ、最終的に熱田→名古屋城二之
丸・評定所へ注進することになっていた。同時に早飛脚を走らせる為、大井→矢梨→河和→
布土→大足→成岩→乙川→藤江→緒川→大府→大高→熱田に早飛脚継場も置かれた。173
3年尾張藩主徳川宗春が知多巡覧の際、高根山が名古屋城を望むことが出来た為、この景観
を褒めて「望城ヶ丘」と名付けたと云う。現在は公園、住宅に変わり、遺構は無い。


【所感】烽火台を説明する石碑は西部中学校南東200mの高根山公園〔上高根台住宅地内
〕に在ります。嘗ての高根山は滅失したらしく、西高根、上高根、下高根、上高根台などの
地名が残っています。




高根山烽火台跡の石碑・高根山公園