三河 大浜城
Ohama castle

      羽城跡【愛知県碧南市羽根町1丁目】
長田屋敷跡・宝珠寺【愛知県碧南市音羽町1丁目48】
      称名寺【愛知県碧南市築山町2丁目66】

【立地】平城
【別称】大浜古城

【歴史】1548年山崎城主松平信孝が松平宗家8代広忠に背き、岡崎城を攻めようとした
際、上田兵庫元俊が明大寺「耳取縄手の戦い」で信孝勢を破り、大浜に領地を与えられたこ
とに始まる。翌1549年天野孫三郎が大浜で50貫文を領し、次に稲熊氏が居住した。こ
の時の砦を大浜古城を称するが、1560年「桶狭間の戦い」の後、稲熊氏は加茂郡大島郷
へ移り、廃城になったと云う。この後、永井直勝、及び、藤井隼人が居住したようだが、1
576年長田重元、永井直勝父子が入った羽城との関係は明らかではない。また、1579
年家康の長男信康が武田との内通を疑われ、家康より謹慎を言い渡された地も大浜たが、こ
の地も不明である。

【所感】県道43号線羽根町信号交差点から、南の国道247号線大浜小北信号まで多く寺
社が建ち並んでおり、この間の何処かに大浜城が在ったとされます。中でも称名寺は松平家
と関係の深いお寺です。松平宗家初代親氏らが松平へ入郷する前、称名寺に立ち寄り、父有
親がこの地で閑居したという伝承があり、その関係で称名寺境内「徳川家祖廟」に親氏の祖
父親季、父有親の墓が在ります。また、1543年称名寺“連歌の会”に松平広忠が訪れ、
“神々のなかきうき世を守るかな”に“めくりはひろき園のちよ竹”と句をつけ、この“ち
よ竹”が家康の幼名「竹千代」になったともあります。信康の家臣である長田氏父子の居城
、そして、称名寺が在る大浜に信康を蟄居させた理由が少し分かるような気がします。




称名寺本堂



長田屋敷跡・宝珠寺



大浜陣屋跡・羽城跡・大浜陣屋広場