遠江 大鐘屋敷
Ohgane residence
大鐘家・大鐘屋敷跡【静岡県牧之原市片浜1032】
【別称】大鐘氏屋敷
【国重要文化財】長屋門・主屋
【歴史】柴田勝家の家臣となった山田藤鱗〔名古屋市高針〕は、1575年織田信長の「越
前一向一揆平定」に参戦。陣羽織・のぼり旗に釣鐘の紋章をつけて戦功を挙げたことから、
信長より大鐘姓を賜り、大鐘藤八郎貞綱を名乗ったと云う。平定後、柴田勝家の養子柴田勝
豊に仕えて丸岡城の城代家老を務めた。1582年6月「清須会議」で柴田勝家は遺領処分
で長浜城を取り、城受取りに家老大鐘藤八らを遣わせ、7月柴田勝豊・大鐘貞綱らは近江長
浜城へ移った。同年12月羽柴秀吉は長浜城を攻め、大鐘氏らを買収して勝豊を味方に引入
れ、1583年4月「賤ヶ岳の戦い」で貞綱は木下一元・山路将監らと堂木山に布陣し、勝
家軍は敗った。同年柴田勝豊が病没した為、貞綱は秀吉に転仕。その後、加藤清正との確執
もあり、1597年遠州相良に移住。元禄年間(1668〜1704年)頃には大庄屋とし
て近郷を治めた。1973年長屋門・主屋が国重要文化財に指定される。現在は「大鐘家」
の名で内部を公開しており、建物・土塁・石垣・水堀跡が残る。
【所感】遺構して屋敷の西側から駐車場にかけて長い土塁が残り、南面に相良城取り壊しの
際に購入した石垣、東側に水堀跡も残っています。屋敷の前を田沼街道が通っていたという
のも驚きです。
長屋門【国重要文化財】
主屋【国重要文化財】
主屋の内部
蔵の史料館
蔵の史料館の内部
相良城の石垣
大鐘屋敷東側の水堀跡
大鐘家住宅の看板・駐車場
大鐘屋敷西側の土塁