近江 長浜城
Nagahama castle

長浜城歴史博物館【滋賀県長浜市公園町10−10】

【立地】平城
【別称】今浜城・出世城
【天守の構成・形式】複合式望楼型天守

【市指定史跡】

【歴史】1574〜1576年頃、羽柴秀吉が築いた城である。1573年信長の浅井長政攻めの戦功
で浅井氏の旧領を与えられ、初め小谷城へ入ったが、山城の不便さから、琵琶湖東岸の今浜に新城を築
いた。1582年「本能寺の変」の後、清洲会議で柴田勝豊〔柴田勝家の甥〕が入ったが、信長の後継
者争いで勝家と対立していた秀吉が直ぐに落城させ、1583年「賤ヶ岳の戦い」へ発展する。戦後、
山内一豊が2万石で入るが、1590年「小田原征伐」の後、遠江国掛川城へ5万石で移り、一時、廃
城となり、石田三成領となる。1600年「関ヶ原の戦い」の後、幕領となっていたが、1606年4
万石で内藤信成が入り、荒廃した城の整備が実施された。1612年信成が亡くなり、1615年「大
坂の陣」の後、嫡子信正が摂津国高槻へ転封となり、長浜は廃藩となった。1983年に模擬天守と多
聞櫓が復興されている。

【所感】長浜城は天守台の傾斜が寝ている為、写真でも分かるようにピラミッドのように見えてしまい
ます。博物館なので多くは望めませんが、もう少し天守台と上物の一体感が欲しかったと思います。本
来の天守の位置は博物館の裏手になり、石碑と秀吉像が立っています。湖岸に出ると、太閤井戸跡、石
垣出土地の石碑が立ち、日本庭園、児童公園、豊公園も合わせて、広い範囲で憩の場になっています。





長浜城本丸跡の石碑









三重五階 模擬 天守・長浜城歴史博物館・総高:33.9m 



太閤井阯の石碑・琵琶湖

 

旧長浜城領境界碑〔写真:左〕長浜城石垣根石〔写真:右〕

 

長浜城天守閣跡の石碑〔写真:左〕長浜城石垣出土地の石碑〔写真:右〕