美濃 大御堂城
Ohmido castle

大御堂城跡【岐阜県揖斐郡大野町公郷】
  月真寺【岐阜県揖斐郡大野町公郷1812−1】

【立地】平城

【町指定史跡】


【歴史】築城年、築城者は定かではない。清和源氏の後裔竹中氏の居城で、1497年竹中
遠江守重元が生まれる。1544年長男竹中半兵衛重治が生まれ、幼少より学問を好み、特
に兵法を学んだ。1558年重治は父重元に従って不破郡岩手の岩手弾正信久を攻め、岩手
へ移住。大御堂城は廃城となる。竹中半兵衛〔重治〕は斎藤龍興に仕え、1564年2月6
日家臣16人を率いて稲葉山城へ登城し、城外の安藤(安東)守就軍と呼応して城を占拠。
織田信長の城譲渡話を断り、8月に龍興に返して近江浅井氏の食客となる。1565年栗原
山〔関ヶ原合戦時の長宗我部盛親陣地〕に蟄居中、木下藤吉郎の再三の説得に応じ、藤吉郎
の客将として信長に仕えた。1570年「姉川の戦い」1571年「小谷城攻め」1575
年「長篠・設楽原の戦い」1577年「中国攻め」などで秀吉の軍師として活躍し、157
9年4月「三木城攻め」の際、病で倒れ、6月13日平井山の陣中で亡くなった。昭和40
年代まで東西40m、南北60mの土塁と堀が残れていたが、現在は平地と道路になり、遺
構は無い。


【所感】嘗て在った八幡神社にも書いてありますが、300m北の空き地に『竹中半兵衛重
治公生誕之地』の石碑が移されています。車は石碑の前に駐車スペースがあります。八幡神
社ではなく、当地こそ大御堂城跡であり、月真寺の西隣りに位置します。月真寺裏の墓地に
竹中半兵衛の父竹中重元の墓も有ります。





竹中半兵衛重治公生誕之地



大御堂城跡