遠江 大洞若子城
Ohora wakago castle

  大洞若子城跡【静岡県浜松市天竜区佐久間町相月】
城西浄化センター【静岡県浜松市天竜区佐久間町相月2227−2】

【立地】山城
【別称】若子城・大洞山城

【歴史】築城は不明。大洞山〔標高930m〕の西麓、水窪川と大洞沢に挟まれた標高32
0m、比高90mの丘陵先に築かれた山城である。久頭郷城〔高根城〕主奥山貞益の弟奥山
加賀守定吉が築き、定吉と子の大膳亮吉兼が在城。永禄年間(1548〜1470年)、兄
の水巻城主奥山美濃守定之〔定茂か〕と遠州遠山土佐守父子に落されるが、その後も吉兼が
武田氏・徳川氏に属したとも云われる。現在は山林となり、曲輪、堀切が残る。

【所感】国道152号線沿いの城西浄化センターを過ぎ、JR飯田線城西駅から400m北
上した右手に城西大橋が在ります。この橋からは北に「渡らずの鉄橋」、南に「大洞若子城
跡の遠景」が見えます。駅から歩きの人は城西大橋を渡った三叉路から右へ80m、左手の
若子城跡の標柱から入ります。大洞沢を渡り、二の曲輪まで登ります。車の場合は城西大橋
を渡った三叉路を左へ1キロ、行き止まりに駐車場、沢沿いを歩き、棚田の脇を通って尾根
に乗ります。若子城の標柱に従って右へ曲がり、曲輪らしき場所を過ぎると、二重堀切→二
の曲輪→本曲輪の順に遺構が並びます。二重堀切は薬研堀切+箱堀切、二の曲輪は狭いなが
ら段を持ち、本曲輪はL字型をしています。土塁は二重堀切の間に在るのみで、曲輪を囲う
土塁や枡形虎口、斜面に竪堀といったものはありません。小規模な城跡ですが、地元の方の
有志で駐車場・登城道が整備・管理され、感謝しかありません。








国道152号線から城跡付近までの看板



城西大橋を渡った三叉路・車両と歩行者の分岐点



三叉路から80m先の歩行者用登城口



三叉路から700m地点の若子城の看板



三叉路から1キロ先、最終地点の駐車場





















登城道







二重堀切・1つ目の堀切



二重堀切・2つ目の堀切



二の曲輪南半分



二の曲輪北半分



新道×旧道の合流点・二の曲輪横



二の曲輪→本曲輪の石段



本曲輪



若子神社・本曲輪



若子神社背後の巨石・本曲輪



本曲輪北東の突端




城西大橋から見た大洞若子城跡



城西大橋から見たJR飯田線「渡らずの鉄橋」