伊勢 大河内城
Okawachi castle

      大河内城跡【三重県松阪市大河内町】
        西蓮寺【三重県松阪市大河内町424】
大河内地区市民センター【三重県松阪市大河内町796】

【立地】丘城
【別称】大河内御所

【県指定史跡】

【歴史】西の矢津川、東の阪内川に挟まれた標高110m、比高45mの丘陵に築かれた城
である。1451年伊勢国司北畠満雅が北朝方の足利軍と一戦交えようと、弟の顕雅を置い
て以来、大河内御所の名で子孫の居城となった。1567年織田信長の伊勢侵攻が始まり、
1568年神戸城・安濃城・阿坂城が落城(和睦)。1569年8月北畠具教父子は霧山城
から大河内城へ本拠を移し、信長勢に対する迎撃態勢を整える。1569年8月20日織田
信長は岐阜を出立し、行く先々で諸城を落としながら南下。大河内城の北東2キロの桂瀬山
に本陣を置き、大河内城を5万の大軍で取り囲んで大攻撃を展開した。北畠勢は南勢・志摩
・伊賀・大和・熊野の兵1万で籠城、織田勢の攻撃を退け、信長を困却させた。信長は戦法
を変え、8月27日夜、城下を焼き、28日四方を巡察して木下藤吉郎・氏家卜全らを北畠
勢と対峙させた後、9月8日夜、搦手から攻撃を仕掛けたが、雨で鉄砲が使えず、20余人
が討死した。9月9日滝川一益の手勢が国司館も含めて全て尽く焼き払い、作物も全て撫で
切りにして持久戦に持ち込んだところ、城内に餓死者が出始めた。北畠具教が織田信雄に家
督を譲る和議が整い、10月4日城を滝川一益・津田掃部に明け渡した。一時、信雄の居城
となったが、1575年田丸城を改修して移り、廃城となる。現在は曲輪、堀切、井戸跡、
土塁が残る。


【所感】国道166号線沿いの大河内地区市民センターに車を止め、市民センターのフェン
スに設置された城跡の略図に目をやると、大手口まで導く標柱があることを知ります。阪内
川に架かる城山橋を渡った右手に『@大手口』の標柱、阪内川西岸を400m程北上した左
手に『A大手口』の標柱。標柱手前の細道を左へ入って行くと、次は『B大河内城跡』の標
柱。この辺りから緩やかな登城道を上りますが、何となく両脇の尾根が気になります。左手
の尾根がW曲輪、右手の尾根がV曲輪、何れも先端に段曲輪を持ち、大手の谷に睨みを利か
せています。どちらの曲輪も大手道側の端を歩いて行くと、先端の段曲輪に行けます。V曲
輪の堀切は横切って反対側に出ると、西に派生する尾根の曲輪・竪堀・堀切が確認出来ます
。大手道に戻って道成りに進んで行くと、開けた場所に大河内神社の鳥居、城北稲荷神社、
忠魂碑の前に二ノ丸跡の石碑が立っています。整備された砂利道を西へ歩いて石段を上ると
、右手に鳥居、城阯碑、大河内神社がある場所が本丸跡です。広い平坦な曲輪ですが、土塁
は無く、北側に曲輪や堀切が続いています。まむし谷と呼ばれる堀切を渡ると西の丸エリア
。右手の細道を進むと、広い腰曲輪〔火薬庫跡か?〕、西側にも腰曲輪があります。西の丸
も神社が建ちますが、本丸と同じように土塁は無く、虎口もどのような形であったか、全く
不明です。出丸と呼ばれる尾根は城北稲荷神社南側の石垣から登ることが出来、3つの頂に
平坦地を設けています。特に中央曲輪の背後に二重竪堀、南曲輪の奥にも深い堀切があって
見どころとなっています。最後、搦手口から下山しましたが、3時間しっかり撮らせてもら
いました。





大河内城跡の看板と石碑・大河内地区市民センター駐車場



城山橋から見た大河内城跡(山全体)遠景











登城道



W曲輪・北西尾根・伝二の丸



北西尾根一段下の曲輪・北西尾根・伝二の丸



先端の曲輪・北西尾根・伝二の丸



X曲輪・北尾根・伝二の丸



北尾根・北東角の土塁・伝二の丸



北尾根から伸びる北東尾根・土塁下の曲輪・伝二の丸



北尾根から伸びる北東尾根・堀切・伝二の丸



北尾根から伸びる北東尾根・先端の曲輪・伝二の丸





北尾根から伸びる北西尾根・1本目の浅い堀切・伝二の丸



北尾根から伸びる北東尾根・堀切間の曲輪・伝二の丸





北尾根から伸びる北西尾根・2本目の大堀切と竪堀・伝二の丸



北城稲荷神社・伝二の丸・V曲輪





忠魂碑と二ノ丸跡碑・伝二の丸・V曲輪



大河内神社の鳥居・伝二の丸・V曲輪



東屋・伝二の丸・V曲輪





馬場跡・伝二の丸・V曲輪





御納戸跡・V曲輪





伝本丸入口













伝本丸・大河内神社・T曲輪



伝本丸北隣りの曲輪



伝本丸の北に広がる曲輪







まむし谷の橋と堀切









伝西の丸・U曲輪



伝西の丸北側の腰曲輪



伝西の丸北側・腰曲輪北尾根の堀切



伝西の丸西側の腰曲輪



伝西の丸西側・腰曲輪北尾根の堀切





井戸跡



出丸入口



出丸北曲輪・Y曲輪





出丸中央曲輪・Z曲輪



出丸中央曲輪南西側の二重竪堀



出丸南曲輪北側の浅い堀切・[曲輪



出丸南曲輪・[曲輪



出丸南曲輪南西側の堀切・[曲輪





搦手門跡



搦手口の駐車場



搦手口