三河 岡崎城
Okazaki castle

 岡崎城・岡崎公園・龍城神社【愛知県岡崎市康生町561】
   三河武士のやかた家康館【愛知県岡崎市康生町561】
岡崎ショッピングセンタービル【愛知県岡崎市康生通西3丁目15−4】
         若宮八幡社【愛知県岡崎市朝日町森畔12】
          八柱神社【愛知県岡崎市欠町石ヶ崎52−1】
          謁播神社【愛知県岡崎市東阿知和町北山39】
           大樹寺【愛知県岡崎市鴨田町広元5−1】
           大林寺【愛知県岡崎市魚町1丁目6】
           松応寺【愛知県岡崎市松本町42】
           大泉寺【愛知県岡崎市中町東丸根38】
           随念寺【愛知県岡崎市中町東丸根38】
           龍海院【愛知県岡崎市明大寺町西郷中35】
           広忠寺【愛知県岡崎市桑谷町堀切29】
           法蔵寺【愛知県岡崎市本宿町寺山1】

【立地】丘城
【別称】竜城・竜ヶ城
【天守の構成・形式】複合式層塔型天守

【市指定史跡】

【岡崎・大草松平家】光重〔栄金〕― 親貞 ― 信貞〔昌安〕― 昌久 ― 三光 ― 正親 ―
          康安 ― 正朝 ― 正永

【松平宗家】親氏 ― 泰親 ― 信光 ― 親忠 ― 長親〔長忠〕 ― 信忠 ― 清康 ― 広忠 ― 家康

【岡崎藩】1601〜1871年

【歴史】1452〜1455年頃、龍頭山〔標高20m、比高10m〕と呼ばれる台地端に
築かれた砦城で、築城者は乙川南岸の明大寺を拠点としていた西郷弾正左衛門頼嗣〔清海入
道・稠頼とも〕とされる。文明年間(1469〜1486)、松平宗家3代信光に攻略され
、信光の子光重〔栄金〕が頼嗣の娘婿となり、岡崎松平氏の祖となる。親貞を経て、信貞〔
光重の子・西郷頼嗣の子とも〕は、1524年近郷押領の罪で松平宗家7代清康に三河山中
城を攻められ、明大寺城へ退去。1527年頃、清康は居城を山中城→明大寺城へ移し、信
貞は大草へ隠棲した。1531年頃、清康〔1511〜1535年〕は岡崎城を拡張・整備
し、明大寺城から本拠を移した。三河一国を平定し、戦国大名にまで伸し上がったが、15
35年家臣の阿部弥七郎正豊によって横死〔守山崩れ〕。10歳だった嫡子広忠は、織田信
秀の岡崎攻撃をよく防いだが、松平家の内紛から桜井松平信定によって岡崎城を追われ、伊
勢国神戸・遠江国掛塚・三河国〔吉田→瀬木→形原→室〕を流浪した。1537年広忠は今
川義元の援助で岡崎城に復帰し、1541年刈谷城主水野忠政の娘「於大の方」と結婚、1
542年12月26日竹千代〔後の徳川家康〕が生まれる。1549年広忠も織田方の刺客
岩松八弥によって横死、植村新六郎が追い駆けて首を取った。この時、竹千代は8歳で織田
方の人質として熱田に幽閉されていたが、人質交換の後、今川方の人質として19歳まで駿
府に住んだ。1560年「桶狭間の戦い」で義元が討たれと、大樹寺を経て岡崎城へ復帰。
10年間で西三河・東三河・遠江国を平定し、1570年浜松城へ拠点を移し、岡崎城は長
子岡崎三郎信康・家康の正室築山殿に与えられた。1575年「長篠の戦い」が信康の初陣
で、その後も武田氏との戦いで功を挙げるが、1579年信康と母築山殿は武田勝頼との内
通を疑われ、8月29日築山殿は佐鳴湖畔の小藪村で野中重政によって討死、9月15日信
康は蟄居先の二俣城で自刃した。岡崎城は石川数正・本多重次らが城代を務め、1590年
家康関東移封に伴い、秀吉の家臣田中吉政が5万7000石で入り、城・城下町の拡張・整
備を行った。1601年「関ヶ原の戦い」の戦功から筑後国久留米32万5000石へ移り
、替わって本多康重が入り、5万石で岡崎藩を立藩。1611年康紀が継いで三重天守を築
き、忠利−利長と続いた。1645年水野忠善が入り、忠春−忠盈−忠之−忠輝−忠辰−忠
任と7代続く。1762年松井松平康福を経て、1769年本多忠粛が入り、忠顕−忠考−
忠民と続き、1871年忠直で廃藩となる。1872年主要建物が撤去されるが、1959
年天守が復元され、その後も大手門、隅櫓、塀なども築かれた。遺構として曲輪、石垣、水
堀、空堀、井戸が残る。


【所感】岡崎城は西三河地区最大の城で、現在、岡崎公園として親しまれています。徳川家
康の生誕地ということで多くの観光客が訪れ、春は花見、夏は花火と地域の憩いの場にもな
っています。二の丸には大手門、三河武士のやかた家康館、徳川家康像、本多忠勝像が在り
ます。太鼓門跡を通り、空掘を横目に本丸へ入ると、龍城神社、天守閣が在ります。天守最
上階からは園内、岡崎の街が一望出来ます。本丸から南の虎口を下ると、水堀の龍城堀が在
り、橋も含めて遊歩道になっています。本丸から西の埋門を下ると、えな塚、東照公産湯の
井戸、坂谷門跡が在ります。園内の所々にベンチ、茶屋、飲食店が在り、よく整備された観
光地になっています。





 



三重四階地下一階 復元 天守



模擬 辰巳櫓・本丸

 

東照公遺訓・本丸〔写真:左〕龍ヶ井・本丸〔写真:右〕





龍城神社・本丸




本丸御門跡の石垣・本丸北端



風呂谷門跡・本丸二階門・本丸東端





本丸埋門跡・本丸西端



本丸月見櫓台










龍城堀



二の丸



徳川家康公像・二の丸



松平元康公の像・二の丸



家康公しかみ像・二の丸



徳川家康公騎馬武者像・名鉄東岡崎駅東



本多平八郎忠勝公像・二の丸




二の丸御殿の井戸跡



二の丸南側の堀






復元 二の丸大手門



持仏堂曲輪西側の堀





持仏堂曲輪北側の堀




持仏堂曲輪虎口の太鼓門跡



持仏堂曲輪



持仏堂曲輪と天守を繋ぐ廊下橋



西側の堀から見た廊下橋跡





本丸北側の青海堀

 

東照公産湯の井戸・板谷曲輪〔写真:左〕東照公えな塚・板谷曲輪〔写真:右〕



板谷門跡の石垣・板谷曲輪





菅生川端石垣

 

舟着き場跡〔写真:左〕隠居廊阯の石碑・お休み処いちかわ〔写真:右〕




東曲輪

 

二重二階 復元 東隅櫓・東曲輪〔写真:左〕東隅櫓1階・東曲輪〔写真:右〕


 

東曲輪東側の切通し〔写真:左〕東海道岡崎城下東出入口 籠田総門跡〔写真:右〕

 

岡崎城下 信濃門跡〔写真:左〕東海道岡崎城下西出入口 松葉総門跡〔写真:右〕


 

移築 岡崎城念沸堂赤門・謁播神社〔写真:左〕移築 岡崎城北曲輪四ッ脚門・個人宅〔写真:右〕

 

松平宗家の菩提寺「大樹寺」〔写真:左〕松平忠政公・松平宗家8代広忠公・於久の方の墓・広忠寺〔写真:右〕



徳川家康公と松平八代の墓・大樹寺

 

松平清康公/清康公の正室春姫の墓・大林寺〔写真:左〕松平広忠公の墓・大林寺〔写真:右〕


 

松平宗家8代広忠公御廟所・松応寺〔写真:左〕於大の遺髪墓・大泉寺〔写真:右〕

 

松平宗家7代清康公・妹久子の墓所・随念寺〔写真:右〕松平広忠公の後室真喜姫の墓・龍海院〔写真:右〕

 

築山御前御首塚・八柱神社〔写真:左〕岡崎三郎信康公御首塚・若宮八幡社〔写真:右〕




松平一族墓所・法蔵寺