三河 奥平館
Okudaira yakata

           奥平館跡【愛知県北設楽郡設楽町西納庫字羽根19】
道の駅アグリステーションなぐら【愛知県北設楽郡設楽町西納庫字森田32】

【立地】丘城
【別称】川口殿屋敷

【歴史】時期は定かではない。本洞川に沿って南西へ延びる宮平山〔標高961m〕山麓に
築かれた奥平喜八郎信光〔後の戸田加賀守信光〕の居館とされる。名倉奥平氏は、永正年間
(1504〜1521年)頃、作手奥平貞久の子奥平左京進貞次が名倉へ進出し、名倉奥平
家の祖となった。寺脇城を本城とし、2代目領主が信光である。天正年間(1573〜15
92)初め、信光は家康の配下として津具方面で武田勝頼と戦い、1581年信長の命によ
り、上郷城〔稲武町〕を築いている。1600年「関ヶ原の戦い」の後、清洲城に家康の四
男松平忠吉が入り、1602年信光も家臣として移住した。現在は民家、畑地、田地に変わ
り、民家裏手から東方にかけて横堀が残る。

【所感】茶臼山高原道路の入口となる「道の駅アグリステーションなぐら」から国道257
号線を東へ300m程進んだ三叉路を左へ入ります。次の三叉路を左へ進み、右手の本洞川
が道に最も近づいたビニールハウスの上段に在る民家が館跡になります。ビニールハウス右
上に見える石碑の左のお宅です。横堀は民家裏手から縦に上り、東へ折れて南へ折れるコの
字型に在り、戸田喜八郎信光之碑を囲むように在ります。実はあまり期待してませんでした
が、見た瞬間、深く長く残る横堀に感動しました。



 

奥平館跡下のビニールハウス〔写真:左〕戸田喜八郎信光之碑〔写真:右〕

 

山上方向へ上る堀〔写真:左〕民家裏手の横堀〔写真:右〕



奥平館跡の民家