美濃 大熊城
Okuma castle

  大熊城跡【長野県諏訪市湖南】
諏訪西中学校【長野県諏訪市湖南4982−3】

【立地】丘城

【歴史】築城年は定かではない。標高816mの丘陵最高地に築かれた千
野氏の居城で、1483年「文明の内訌」の際、下社大祝の金刺興春が桑
原辺りまで進出して大敗し、大熊城にさらし首になった記述がある為、こ
れ以前に築かれたと思われる。1542年武田氏の諏訪侵攻で落城となり
、1547年「塩尻峠の戦い」の後、武田氏により花岡城、小坂城、真志
野城とともに破却されたと云う。城は三日月形の自然丘陵上に主郭を築き
、周囲に6ヶ所の曲輪を配した連郭式城郭で、主郭土塁上の石祠に千野丹
波守房清の名があり。城跡に隣接して在る城山遺跡、荒神山遺跡は居館跡
とされる。現在は曲輪、土塁などが残る。

【所感】諏訪西中学校東の道から大熊神社を経て中央道に平行して進むと
、コの字形に北へ迂回する道になり、中央道の陸橋手前右手に大熊城跡の
碑、歴史看板が在ります。この看板が在る場所が本郭の土塁で、西方へ二
の郭、三の郭が連なってコの字形の道の内部に在ります。南方へ連なる四
の郭の一部、五の郭、六の郭の一部は中央道建設で消失しています。




大熊城跡の碑・歴史看板・土塁