紀伊 鬼ヶ城
Onigajo castle

   鬼ヶ城跡【三重県熊野市木本町】
鬼ヶ城センター【三重県熊野市木本町1835−7】
  ホテルなみ【三重県熊野市大泊町772−1】

【立地】山城
【別称】木本城

【ユネスコ世界遺産】紀伊山地の霊場と表詣道
【国名勝】熊野の鬼ヶ城 附 獅子岩

【歴史】築城年は定かではない。海に突き出した舌状の山〔標高153m〕に築かれ城であ
る。応永年間(1394〜1427年)頃、彦田神官榎本氏24代子孫有馬和泉守忠永が近
郷を凌奪し、南は阿田和村から北は木本郷の新鹿村・遊木村、曽根荘の二木島浦、三木荘の
九木浦・早田浦・行野浦など16村を領有、有馬村に二ツ石の城を築いて住み、1424年
に没した。その子忠親に嫡子が無かった為、忠吉が婿養子とし、自らは木本浦に隠居した。
木本浦に隠居した時期は大永年間(1521〜1528年)頃とされるが、既存の城に入っ
たのか、築城して隠居したのか不明である。後に忠親に実子が生まれた為、忠吉を自刃させ
た。この事件で親族は北山郷の者と協議して忠親を攻撃し、忠親も自害した。天文年間(1
532〜1555年)有馬城とともに鬼ヶ城も堀内安房守氏虎によって攻略されたと云う。
現在はユネスコ世界遺産のエリア内となり、曲輪、堀切、竪堀が残る。


【所感】鬼ヶ城跡は三方を海に囲まれた急峻な山上に在り、鬼ヶ城センターの駐車場からつ
づら折れの道を登ります。登り切った場所が曲輪U、最も広く、平坦な曲輪です。左を見る
と、土塁か櫓台か巨石を積み上げたような山が在ります。その脇を抜けると曲輪V。先端の
展望台から熊野灘〔太平洋〕が一望出来、下に目をやると、腰曲輪の先に細長い曲輪Wが見
え、その先にも段郭が在ります。曲輪Uに戻り、丸太段を上ると、最高地の曲輪Tです。こ
こに鬼ヶ城城跡碑が立っています。ここから松本峠方面へ下りて行くわけですが、細長い曲
輪Xの後は、A・B・C・Dの堀切が間隔を置いて並びます。海に囲まれた城も、陸側〔松
本峠道〕から攻められてはいけないと、堀切と竪堀で防御しています。堀切と竪堀は松本峠
までの道を歩いていれば全て撮ることが出来ます。ただ、これが遺構か確認する意味で縄張
図を事前に用意して訪ねる必要があります。大半の方は観光地「鬼ヶ城」に行かれますし、
熊野古道目的で城跡内を歩いて行きますが、ここを城跡と思って撮っている人は私以外で一
人ぐらいですね。




登城口の木製階段・鬼ヶ城センター駐車場





登城道



曲輪Uから見た入り江



曲輪U



曲輪U×曲輪V間の土塁か櫓台か





曲輪V



曲輪Vの展望台から見た熊野灘





曲輪T



曲輪X



堀切A



松本峠道



堀切B



堀切Bから始まる竪堀







松本峠道



堀切C



堀切D