三河 長田屋敷
Osada residence

長田屋敷跡【愛知県碧南市音羽町1丁目】
  宝珠寺【愛知県碧南市音羽町1丁目48】
  西方寺【愛知県碧南市浜寺町2丁目19−2】

【立地】丘地

【歴史】時期は定かではない。平家の流れを組み、1159年「平治の乱」の後、源義朝〔
頼朝、義経の父〕を内海で討った長田壱岐守忠致の末裔に当る。忠致の弟親政が内海から棚
尾へ移って屋敷を構え、1523年長田重元の代で大浜へ移った。1576年家康が舟手の
要塞として羽城を築き、城主に長田重元、直勝父子が入り、家康の嫡男信康に仕えた。15
79年謀反の疑いで信康が自刃すると、一時、家康から去って隠棲したが、1580年家康
に再度召抱えられ家臣となる。1584年「小牧、長久手の戦い」で池田恒興を討ち取った
戦功により東端城へ、1590年家康関東移封に伴い、直勝も常陸国笠間城へ移る。161
5年「大坂夏の陣」に参戦し、1622年下総国古河藩7万2000石を得た。場所は宝珠
寺の南辺りで、境内に生誕地の石碑が立つ。

【所感】県道43号線碧南西信号交差点から南へ200m程進むと、右手に西方寺が在りま
す。西方寺前の細道を東へ50m程進むと、右手に宝珠寺が在ります。初めは墓地内にある
と思って探していましたが、本堂の前に「永井直勝生誕地」の石碑が在りました。




永井直勝誕生地の石碑・宝珠寺寺門前・長田屋敷跡



永井直勝生誕地の石碑・宝珠寺・長田屋敷跡