尾張 尾張藩吉田屯所
Owarihan Yoshida Tonsho

尾張藩吉田屯所跡【愛知県大府市馬池町4丁目】

【立地】丘地
【別称】南部隊屯所・兵隊屋敷

【歴史】1853年ペリー黒船来航に伴い、幕府・各藩は洋式の調練による兵士の養成を始めた。尾張
藩は藩政を改革して各陣屋を廃止、1868年8月美濃太田に北方総管所・春日井郡水野に東方総管所
・知多郡横須賀に南部総管所を設置し、志水甲斐守忠平を総監として、旧鳴海陣屋・横須賀陣屋を支配
した。南部総管所は本部を横須賀代官所跡に設置、横須賀に水軍、陸兵を後の吉川村へ移し、奥池の畔
に長さ三十間〔約54m〕の兵舎を建てた。兵は付近の村から徴募で集まった農民らで、別名「金鼓隊
」と呼ばれ、兵1500人・士官100人余で伊勢湾・衣浦の警備に従事した。1871年藩兵制度が
廃止される。奥池の北岸に築かれ、現在は資材置場となり、遺構は無い。


【所感】桜木町1丁目の北端に位置する奥池は東西に長い池で、池を一周する形で遊歩道があり、トイ
レ・東屋も設置されています。吉田屯所跡は東屋の北方辺りで、現在、資材置場は門が閉ざされて中に
は入れません。


 

尾張藩吉田屯所跡辺り・資材置場・奥池北岸〔写真:左〕奥池から見た尾張藩吉田屯所跡〔写真:右〕