遠江 相良城
Sagara castle

用宗城跡【静岡県静岡市駿河区用宗城山町】

【立地】平城
【別称】相良陣屋

【歴史】1576年武田勝頼が高天神城の支城として高坂弾正忠昌信に築かせた城と云う。1582年
武田氏滅亡後、家康の所領となり、1586年御殿を築いて鷹狩りの拠点とした。1616年家康没後
、直轄地に編入されて廃城となる。下って、1710年三河国伊保より本多忠晴が遠江国榛原・城東、
三河国加茂・碧海4郡内1万5000石で入り、相良藩を立藩。忠通−忠如と続き、1746年板倉勝
清が遠江国榛原・周智両郡内1万5000石を領して入封。1749年三河国拳母から本多忠央が1万
石で入封。1758年田沼意次が1万5000石で入り、1767年5000石の加増を受けて再築城
する。その後も加増を重ね、1785年には5万7000石の大名にまで出世したが、1784年田沼
意次の嫡男意知が江戸城内で佐野善左衛門に斬られる事件を機に意次に対する悪評が広がり、1786
年2万石を収公、翌1787年2万7000石を収公され、家督を継いだ田沼意明は陸奥国下村1万石
へ転封、相良藩は廃藩、廃城となる。その後、代官支配となるが、1823年田沼意次の次男意正が陸
奥国下村から旧領1万石で復帰し、陣屋を構えて再立藩した。意留−意尊と続くが、1868年9月駿
府藩の立藩によって意尊は上総国小久保1万1200余石へ転封となり、相良藩は廃藩となった。現在
は庁舎・図書館・学校・史料館・資料館・住宅に変わり、二の丸のマツ・仙台河岸の石垣が残る。

【所感】現在、本丸は相良庁舎・相良史料館・相良中学校グランド、二の丸は相良小学校、三の丸は相
良高校になっています。遺構として残る「二の丸のマツ」は相良小学校の南端とグランドに計10本有
り、「仙台河岸」の石垣は相良庁舎の東方、竹内鉄工付近の側溝に残っています。





本丸・牧之原市役所 相良庁舎

 

相良城本丸跡の石碑・相良史料館・本丸〔写真:左〕相良城阯の石碑・相良史料館・本丸〔写真:右〕


 

二の丸のクロマツ・相良小学校【牧之原市指定天然記念物】

 



仙台河岸の石垣【牧之原市指定史跡】