遠江 相良城
Sagara castle
相良城跡【静岡県牧之原市相良・波津】
牧之原市役所相良庁舎【静岡県牧之原市相良275】
牧之原市史料館【静岡県牧之原市相良275−2】
相良高等学校【静岡県牧之原市波津1700−3】
相良中学校【静岡県牧之原市相良283】
相良小学校【静岡県牧之原市波津1642】
【立地】平城
【別称】田沼城・相良陣屋
【歴史】1576年武田勝頼が高天神城の支城として高坂弾正忠昌信に築かせた城と云う。
1582年武田氏滅亡後、家康の所領となり、1586年御殿を築いて鷹狩りの拠点とした
。1616年家康没後、直轄地に編入されて廃城となる。下って、1710年三河国伊保よ
り本多忠晴が遠江国榛原・城東、三河国加茂・碧海4郡内1万5000石で入り、相良藩を
立藩。忠通−忠如と続き、1746年板倉勝清が遠江国榛原・周智両郡内1万5000石を
領して入封。1749年三河国拳母から本多忠央が1万石で入封。1758年田沼意次が1
万5000石で入り、1767年5000石の加増を受けて再築城する。その後も加増を重
ね、1785年には5万7000石の大名にまで出世したが、1784年田沼意次の嫡男意
知が江戸城内で佐野善左衛門に斬られる事件を機に意次に対する悪評が広がり、1786年
2万石を収公、翌1787年2万7000石を収公され、家督を継いだ田沼意明は陸奥国下
村1万石へ転封、相良藩は廃藩、廃城となる。その後、代官支配となるが、1823年田沼
意次の次男意正が陸奥国下村から旧領1万石で復帰し、陣屋を構えて再立藩した。意留−意
尊と続くが、1868年9月駿府藩の立藩によって意尊は上総国小久保1万1200余石へ
転封となり、相良藩は廃藩となった。現在は庁舎・図書館・学校・史料館・住宅などに変わ
り、二の丸に土塁・マツ、仙台河岸に石垣が残る。
【所感】現在、本丸は相良庁舎・牧之原市史料館・相良中学校グランド、二の丸は相良小学
校、三の丸は相良高校になっています。遺構として残る二の丸の土塁とクロマツは相良小学
校の南端と西端に計10本有り、「仙台河岸」の石垣は相良庁舎の東方、竹内鉄工付近の側
溝に残っています。
相良城本丸跡碑・牧之原市史料館・本丸
牧之原市史料館・本丸
本丸・相良中学校グランド
牧之原市役所相良庁舎・本丸
相良城址碑と田沼意次公像・牧之原市史料館・本丸
二の丸南端の土塁とクロマツ【牧之原市指定天然記念物】
二の丸西端の土塁とクロマツ【牧之原市指定天然記念物】・相良小学校
三の丸・相良高校
仙台河岸と「相良城・城下割」概要図・駐車場
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仙台河岸の石垣【牧之原市指定史跡】