信濃 田口城
Taguchi castle

田口城跡【長野県佐久市田口】
 蕃松院【長野県佐久市田口】
龍岡城跡【長野県佐久市田口3000−1】

【立地】山城
【別称】田ノ口城

【歴史】戦国時代初期、吉沢川と雨川に挟まれた山稜西端(標高897m、比高170m)
に築かれた田口氏の山城である。天文年間(1532〜1555年)、武田方の小山田出羽
守に攻められ、田口城主田口長能ら全員が討死。長能没後、武田氏に属す佐久の相木〔阿江
木〕氏が入るが、1582年武田氏滅亡後、小田原北条氏の手が伸びて、相木をはじめ佐久
の将は北条氏に属した。一方、徳川方に属して旧領の芦田を得た依田信蕃は、佐久の北条方
の城を攻撃。田口の相木能登守は一族と共に城を捨てて北条氏を頼った。その後、旧領回復
を狙う相木能登守と前山城を追われた伴野信守が連合して依田氏を攻めたが、敗れている。
信蕃の子松平康国は小諸城主となって佐久郡を領すると、父信蕃追福のために田口城下に蕃
松院を創建。現在は信蕃の墓と伝わる墓碑がある。現在は山林となり、曲輪、堀切が残る。

【所感】龍岡五稜郭を撮るついでに…ぐらいの考えで撮っていましたが、30近い曲輪、3
本の堀切、石積み、水場を確認していたら2時間経っていました。曲輪は桑畑として使われ
ていたらしいので、平坦度の高さは改修によるものか、そんな風に感じてしまいます。縄張
り図に『水』と書かれた場所がありますが、北の郭から西の谷へ下って行くと、確かに水が
にじみ出ている場所がありました。東西500m、南北200mの広大な城跡です。





田口城跡と蕃松院



依田信蕃兄弟の墓・蕃松院



城山自然研究園と主郭上段



大井氏神・主郭上段



主郭上段



主郭上段×下段間の石積み



主郭下段



二の郭上段・主郭の西隣り



二の郭下段



西の郭



北の郭



水場・北の郭の北西



堀切1本目・本丸の東方



堀切2本目・本丸の東方



堀切3本目・本丸の東方









龍岡五稜郭展望台までの道