尾張 三位方印宅
Sanmi Hoin residence

三位方印宅跡【愛知県あま市乙之子字元柳】
   貴船社【愛知県あま市乙之子字屋敷21】

【立地】平地
【別称】三位方印屋敷

【歴史】時期は不明。三好吉房(三位方印〕の屋敷とされる。初め、母方の長尾姓を名乗ってい
たが、秀次が三好康長の養子になった際、三好氏を称したと云う。吉房は秀吉の姉「とも〔智〕
」を妻とし、1568年信吉〔豊臣秀次〕が生まれる。吉房は秀吉の馬の口取りとして仕えるが
、秀吉の出世とともに取り立てられ、犬山城主を任されるまでになった。1591年秀吉の子鶴
松が亡くなると、秀次を養子に迎え、1592年関白職を継がせるが、1593年秀吉の側室淀
殿が秀頼を産むと、次第に秀吉から疎まれる存在となり、高野山へ追放、出家。1595年秀次
に切腹が命ぜられ、三好吉房も改易、讃岐国に流罪となった。屋敷は貴船社の北辺りとされ、住
宅、田地になり、遺構は無い。

【所感】県道79号線篠田小南信号を南へ道なりに400m程進むと、右手に貴船社が在ります
。1592年秀次の関白就任祝いと、武運長久を祈願する為、父吉房が社殿を建立したことに始
まる神社です。



 

貴船社・三位方印宅跡の南に隣接〔写真:左〕貴船社の説明看板〔写真:右〕