琉球 佐敷城
Sashiki castle

              佐敷城跡【沖縄県南城市佐敷】
航空自衛隊知念分屯基地・佐敷ようどれ【沖縄県南城市佐敷佐敷1641】

【立地】平山城
【別称】上グスク・佐敷グスク

【国指定史跡】佐敷城跡

【歴史】発掘された輸入陶磁器が14世紀のものであることから、第1尚氏王統の初代尚思
紹(1406〜1421年)の代に築かれ、2代尚巴志もこのグスクで生まれた。屋蔵大主
〔八蔵大主〕の子・佐銘川大主〔鮫川大主〕は、伊平屋島→伊是名島へ渡って伊是名グスク
を築いて拠点としたが、伊是名島の飢饉に乗じて陰謀に巻き込まれて島を脱出した。流れ着
いた国頭の地に暫く身を寄せたが、夢のお告げに従って国頭の地を離れ、馬天の浜に辿り着
いた。やがて縁あって大城グスクを拠点とする大城按司眞武の娘と結ばれ、一男一女を授か
った。息子は後に苗代の地に居を構えたことから苗代大比屋〔苗代大親・後の尚思紹〕と呼
ばれ、娘は馬天ノロとなる。尚思紹は大城按司から佐敷を地を与えられて佐敷按司を名乗り
、佐敷グスクを築いて苗代→佐敷に居を移した。美里子の娘を娶り、三男一女を授かり、1
372年長子の尚巴志が生まれた。1392年尚巴志は2代佐敷按司となり、琉球統一へ向
けて動き出す。1402年島添大里按司を滅ぼし、1405年中山王〔察度王統2代〕武寧
の拠点である浦添グスクを落とした。1406年尚思紹を中山王に推し、1416年北山王
を滅ぼし、1422年尚巴志が王を引き継いだ。1429年南山王を攻め落とし、琉球統一
を果たした。2013年国指定史跡となり、現在、曲輪、井戸跡が残る。

【所感】『佐敷ようどれ』がある航空自衛隊知念分屯基地の〔標高160m〕の北斜面、標
高40〜49mの場所に佐敷グスクが在ります。今回、時間の都合で佐敷グスクのみを訪ね
ましたが、『佐敷ようどれ』や城跡の東に在る『美里殿・美里井』『苗代大比屋の屋敷跡』
は次に訪ねようと思います。縄張は4段から成る連郭式の城で、月代宮社殿の場所が主郭、
石段の途中に2段、石段を下りた平坦地が4段目となります。規模としては狭い城ですが、
初めて琉球を統一した一族のグスクということで、沖縄の歴史を学ぶ意味で訪ねておきたい
エリアです。





佐敷ノロ(ヌル)殿内



最下段の広い曲輪



内原の殿(ウチバルヌトゥン)



上グスクのカマト跡(女官の詰所跡)





月代の宮



上グスク之嶽



親井(ウェーガー)