尾張 千秋氏屋敷
Senshu residence

千秋氏屋敷跡【愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目】
  熱田神宮【愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1−1】
   誓願寺【愛知県名古屋市熱田区白鳥2丁目10−12】

【立地】平地
【別称】大宮司屋敷

【歴史】熱田神宮の大宮司千秋氏の屋敷である。初め鎮皇門外、政所の地に在ったが、1560年八剣
宮北辺りへ移ったと云う。熱田大宮司の始まりは尾張氏であり、12世紀初め、藤原氏に継承され、い
つしか千秋氏を名乗るようになった。千秋氏は熱田大宮司でありながら武将としての顔も持ち、南北朝
時代〔1336〜1392年〕、千秋親昌と甥の千秋昌能は南朝方で転戦し、昌能は幡豆崎城主でもあ
った。戦国期に入ると、千秋李光は織田信秀〔信長の父〕に属し、1547年「稲葉山城攻め」で討死
。その子李忠は幡豆崎城主にあって、1560年「桶狭間の戦い」で討死。李忠の子李信は織田氏・徳
川氏に仕え、1612年に没した。その後、李盛―武李―李明―李寿―李成…と続き、明治に入り、千
秋李福を最後に角田忠行に継がれた。現在は建物、庭などに変わり、遺構は無い。

【所感】尾張志附図熱田図〔1844年〕・熱田宮境内図〔1777年〕で見ても、八剣社の北に大宮
司千秋氏・大宮司屋敷のエリアが描かれている。現在の状況と照らし合わせると、きよめ茶屋・宮きし
めん・西側の佐久間灯籠・二十五丁橋が在るエリアです。参拝するだけなら、あまり行かない場所かも
しれません。熱田神宮には桶狭間合戦戦勝祈願の御礼に奉納された信長塀や熱田神宮宝物殿・大楠、熱
田神宮西側の誓願寺山門に源頼朝誕生地碑など、他にも見処が沢山あります。





千秋氏屋敷跡・大宮司屋敷跡

 

名古屋最古の石橋「二十五丁橋」〔写真:左〕「宮きしめん」入口〔写真:右〕

 

熱田神宮本宮〔写真:左〕熱田神宮の大楠・樹齢1000年以上〔写真:右〕

 

信長塀〔写真:左〕右大将頼朝公誕生舊地の石碑〔写真:右〕