三河 酒呑城
Shachinomi castle

 酒呑城跡【愛知県豊田市幸海町城ノ腰】
幸海小学校【愛知県豊田市幸海町下御堂下切14−1】
  皆福寺【愛知県豊田市幸海町神田8】
  妙昌寺【愛知県豊田市王滝町覚庵16】

【立地】山城
【別称】酒呑村古城

【歴史】文明年間(1469〜1487年)、三河国矢並を拠点とする鈴木重就の子与六郎
重時が酒呑へ移住したことに始まる。矢作川の支流巴川、足助街道に沿う城ノ峠〔標高20
0m〕に築かれ、足助への侵出、松平氏の防御を目的とした。重時は酒呑鈴木家の祖となり
、重興−重信−重政−重次−信光−重氏と7代続いた。3代重信より松平氏、家康に仕え、
1600年「関ヶ原の戦い」の後、旗本となって酒呑に陣屋を構えた。現在は曲輪が残る。

【所感】県道487号線沿いの幸海小学校から北へ500m程進み、右手の脇道を600m
程走ると、皆福寺が在ります。寺門前の道を降り、東方の農道〔アスファルト道〕を進むと
、柵で行き止まりになりますが、手前右手の小道が登城口です。現在は不法投棄防止柵が張
られて入り辛くなっています。ジグザグ道を50m程上って尾根へ出、右側尾根道を150
m程上って行くと、最終地点に主郭、その奥に曲輪が在ります。曲輪しかない城跡ですが、
4回目にしてやっと辿り着きました。登城口近くの民家の方に教えて頂きました。酒呑鈴木
氏の墓は伝松平親氏供養塔と共に妙昌寺に在ります。


 

登城口への道〔写真:左〕登城口〔写真:右〕




登城道

 

主郭〔写真:左〕主郭の祠〔写真:右〕

 

主郭南側の曲輪〔写真:左〕酒呑鈴木宗家の墓所・妙昌寺〔写真:右〕