尾張 下社城
Shimoyashiro castle

  明徳寺【愛知県名古屋市名東区陸前町1310】
貴船小学校【愛知県名古屋市名東区貴船3丁目2301】

【立地】丘城

【歴史】築城年は不明。柴田勝家の誕生地として知られる。勝家は信長の父織田信秀に仕え、信長の弟
勘十郎信勝〔信行〕の家老となり、1556年8月「稲生の戦い」では信勝擁立派として戦って信長に
敗れた。敗戦後、信勝の謀叛を信長に密告し、1558年11月2日信長は病と偽って信勝を清須城で
誘殺した。これ以後、信長に仕えて筆頭家老になる。1568年9月信長の上洛に従軍、1569年8
月「伊勢大河内城攻め」1570年4月「越前攻め」に従軍、5月近江長光寺城主となる。同年6月「
姉川の戦い」1573年「小谷城攻め」に従軍、1575年越前一向一揆平定などの功績から越前8郡
を得て北ノ庄城を築城。この頃、下社城は廃城となる。加賀・能登・越中を平定。1582年「本能寺
の変」で主君を失い、秀吉は中国大返しの後、「山崎の戦い」で明智光秀を討つ。主君の仇を討った秀
吉と織田家筆頭家老の勝家との関係は次第に悪化し、1583年「賤ヶ岳の戦い」で秀吉に敗れた柴田
勝家は、敗走して北の庄城でお市と共に自害した。現在は明徳寺となり、遺構は無い。


【所感】東名高速道路名古屋インター南西部一帯の住宅街内に明徳寺があり、貴船小学校の西200m
程に位置します。明徳寺の石段を上ると、寺門左に「柴田勝家公誕生地」、右に「下社城址」の石碑が
在ります。この周辺では一番高い場所になります。




柴田勝家公誕生地の石碑・明徳寺

 

下社城跡・明徳寺



下社城址の石碑・明徳寺