信濃 飯田城
Iida castle

         飯田城跡【長野県飯田市追手町2丁目】
       飯田合同庁舎【長野県飯田市追手町2丁目678】
      飯田市立図書館【長野県飯田市追手町2丁目677−3】
       追手町小学校【長野県飯田市追手町2丁目673−1】
     飯田市美術博物館【長野県飯田市追手町2丁目655−7】
   南信消費生活センター【長野県飯田市追手町2丁目655−7】
         長姫神社【長野県飯田市追手町2丁目641】
    飯田市立中央図書館【長野県飯田市追手町2丁目677−3】
     桜丸の門・経蔵寺【長野県飯田市上郷別府1768】
     桜丸西門・雲彩寺【長野県飯田市上郷飯沼3335】
飯田市旧飯田測候所・脇坂門【長野県飯田市馬場町3丁目411】
   二の丸御門〔八間門〕【長野県飯田市松尾久井2595−1】
   天空の城 三宜亭本館【長野県飯田市松尾久井2595−1】

【立地】丘城
【別称】長姫城・三本杉城・三本杉長姫城・六本杉長姫城

【歴史】室町時代、上飯田に居館を置く坂西氏が、愛宕稲荷神社辺りに飯坂城を築いたこと
に始まる。その後、現在の地に飯田城を築いて移り、本丸、二の丸、追手門から成る原形を
築いた。戦国時代、武田氏の伊那攻めによって伊那郡はその支配下となり、郡代として秋山
信友が入る。1582年信長の武田攻めで落城し、毛利秀頼を入れたが、『本能寺の変』で
信長が討たれると、家康配下の下条頼安、菅沼定利が城主となる。1590年家康関東移封
に伴い、菅沼氏は上野国吉井へ移り、秀吉配下の毛利秀頼が伊那全郡10万石で再入封した
。1593年京極高知が入り、城下町、伊那街道の整備が行われた。1601年『関ヶ原の
戦い』の功により、京極高知は丹波国宮津へ転封し、代わって下総国古河から小笠原秀政が
5万石で入る。1613年秀政は信濃国松本へ移封され、暫く松本藩預かりとなる。161
7年伊予国大洲から脇坂安治〔賤ヶ岳七本槍の一〕の子安元が5万石で入り、1654年安
元の子安政に継がれた。1672年安政は播磨国龍野へ転封し、下野国烏山から堀親昌が2
万石入った。その後、親貞−親常−親賢−親庸−親蔵−親長−親忠−親民−親シゲ−親義と
続き、親広で廃藩となる。現在は合同庁舎、図書館、小学校、美術博物館、神社、温泉旅館
などに変わり、移築城門、井戸跡、堀切などが残る。

【所感】松川、谷川に挟まれた東西方向に長い丘陵上に飯田城跡が在ります。特に南麓の松
川辺りから見ると、城跡が在る長い丘陵がよく見え、この辺りで見掛ける『天空の城』の言
葉に頷けます。飯田城は連郭式の縄張で丘陵先端から山伏丸〔三宜亭本館〕→本丸〔長姫神
社・柳田館・日夏館〕→二の丸〔消費生活センター・美術博物館〕→桜丸〔図書館・合同庁
舎〕+出丸〔追手町小学校〕→三の丸〔常盤町・主税町・追手町1丁目〕の順で並んでいま
す。他にも城下町全体を囲む惣堀跡もありますので、飯田市美術博物館でガイドブックを購
入すれば、詳しく描かれたマップで確認出来ます。





山伏丸・三宜亭本館





長姫神社・本丸





神社裏手の石垣・本丸



柳田國男館・本丸



日夏耿之介記念館・本丸



本丸−二の丸間の堀切



二の丸の井戸跡・飯田市美術博物館第2駐車場の北



二の丸の井戸跡・飯田市美術博物館の東



二の丸の井戸跡・飯田市美術博物館の南東



二の丸の井戸跡・飯田市美術博物館の北西



二の丸の井戸跡・飯田市美術博物館の西




移築 二の丸脇坂門・飯田藩馬場調練場の門【飯田市有形文化財】



二の丸−出丸間の二の丸御門跡



移築 二の丸御門・八間門【飯田市有形文化財】



二の丸−出丸間の土橋石垣



『飯田城水の手御門跡』の看板と『水の手御門』の標柱



三の丸御広庭に在った井戸の枠・桜丸



移築 桜丸の門・経蔵寺【飯田市有形文化財】



移築 桜丸西門・雲彩寺【飯田市有形文化財】



桜丸御門・赤門【飯田市有形文化財】




水の手番所跡の石垣