三河 城の腰城
Shironokoshi castle

城の腰城跡【愛知県豊川市萩町二反田】
 萩小学校【愛知県豊川市萩町岩田9−2】
  善住寺【愛知県豊川市萩町倉戸81】

【立地】丘城
【別称】城の古址城・城の越城・萩村古城

【歴史】永禄年間(1558〜1570年)、標高84m、比高6mの丘陵端に築かれた萩
奥平家3代周防守勝次の居城とされる。1575年「長篠の戦い」の時、勝次は奥平本家信
昌と共に長篠城に籠城して護り、戦功を挙げる。その後、4代主馬允−5代主馬允−6代右
馬允と続いたが、7代正俊で断絶となる。現在は曲輪、堀、土塁が残る。

【所感】国道1号線音羽信号から県道332号線へ入り、作手へ向って走ります。萩小学校
から500m程進んだ左手の道沿いに石碑が立っています。石碑の場所が登城口で、登って
直ぐ右手の竹薮が曲輪になります。曲輪の北、西端に高さ1m前後の土塁がL字型に残って
おり、曲輪の北側下に堀切、現在は両サイドの壁が削られて小道になっています。県道を挟
んだ東側の民家も曲輪跡とされ、更に東側の山陰川を水堀としていたように感じます。


 

曲輪西端の土塁〔写真:左〕曲輪北端の土塁〔写真:右〕

 

曲輪北端の土塁断面〔写真:左〕堀切か(曲輪北側)〔写真:右〕

 

県道で分断された東側の曲輪〔写真:左〕城の腰城跡と登城口〔写真:右〕


 

城の腰址の石碑〔写真:左〕奥平周防守家之墓・善住寺〔写真:右〕