三河 設楽城
Shitara castle

           設楽城跡【愛知県北設楽郡東栄町中設楽字城山】
ファミリーマート北設楽東栄町店【愛知県北設楽郡東栄町中設楽字外貝津10−3】
          東栄町役場【愛知県北設楽郡東栄町本郷字上前畑25】

【立地】山城
【別称】設楽村古屋敷

【県指定史跡】

【歴史】城山〔標高294m、比高40m〕山頂に築かれた城で、築城は平安時代末期〜鎌
倉時代初期とされる。設楽の名称は、903年宝飯郡を分割して設楽郡となったことに始ま
る。設楽氏の出自は大伴氏の後裔とも、菅原氏の後裔とも云われ、1312年左馬頭重清が
設楽郡振草荘設楽郷〔東栄町中設楽〕から設楽郡川路郷へ移って「設楽氏」を名乗ったと云
う。その後、助重−資善−信実−資清−重長−長兼−貞光−貞勝−資長−資広−貞広−貞次
−貞好−貞明−貞長−貞重と続き、貞通の代では、菅沼定則の娘を妻に川路辺りへ居住し、
今川義元に属した。義元没後、1561年菅沼氏、西郷氏と共に家康に属し、1572年「
見方ヶ原の戦い」、1573年「野田城の戦い」、1575年「長篠、設楽原の戦い」に参
戦。1590年貞通の嫡男貞清は家康関東移封に伴い、武蔵国〔埼玉県加須市〕へ移る。設
楽城は戦国時代末期に伊藤左京の居城であったとされるが、廃城年は不明。現在は本丸跡に
城址碑が立ち、曲輪、土塁、堀切、竪堀が残る。

【所感】ファミリーマート北設楽東栄町店から国道151号線を400m程南下すると、左
上に「史跡設楽城跡」の看板が在り、左折して200m程上って行くと、設楽城跡の駐車場
です。城跡は三方を大千瀬川に囲まれた絶壁上の尾根に在り、北に本丸、南に二の丸〔馬出
曲輪〕、背後に大堀切の順に並びます。更に大堀切の南側に尾根が続きますが、城郭南端に
土橋らしきものが確認出来ます。本丸・二の丸だけでは狭いので、往時、南側の尾根も曲輪
として使われたのではないかと考えます。








本丸





築城当時からある大黒杉・本丸



設楽城址碑・本丸



本丸南東端の土塁





二の丸〔馬出曲輪〕






二の丸南端の土塁



湧き水



二の丸南側の大堀切



大堀切南側の尾根





尾根山頂部の平坦地



城郭南端の土橋



駐車場と登城口