尾張 末森城
Suemori castle

末森城跡・城山八幡宮【愛知県名古屋市千種区城山町2丁目88】
       桃巌寺【愛知県名古屋市千種区四谷通2丁目16】

【立地】丘城
【別称】末盛城

【歴史】1548年、標高43mの丘に織田信秀が築いたとされる。1552年信秀病没後
、信行〔信勝〕が城主となるが、「大うつけ」と呼ばれた信長とは違って真面目で几帳面な
性格だった。次第に信長に不信を抱くようになり、自分こそが嫡男に相応しい人物と対抗心
を露わにする。1555年兄弟争い「稲生の合戦」が起こり、1556年信行は竜泉寺城を
築き、再度信長と対立した。1558年2度の謀反に腹を立てた信長は、仮病を装って信行
を清洲城へ招き、枕元で殺害する。現在は城山八幡宮、、駐車場、昭和塾堂に変わり、曲輪
、空掘が残る。


【所感】末盛通2丁目交差点北東の森が末森城跡の城山八幡宮になります。城山八幡宮や神
社駐車場を囲む素晴らしい空堀を見ることが出来ますが、城山八幡宮を囲んでいる空堀はフ
ェンスで囲まれて容易に写真が撮れないようになっています。主郭の駐車場を囲む空堀は堀
底を歩くことが出来、二の郭の南側まで行くことが出来ます。嘗て、城郭の南側に父信秀の
菩提を弔うた為、織田信行〔信長の弟〕建立の桃巌寺が在ったそうです。寺領内に信秀公の
墓石と三基の五輪塔が置かれ、1712年桃巌寺のみが現在の地〔四谷通〕に移築。195
1年、信秀没後400年を機に墓石と五輪塔が境内へ移設され、墓石の下から出た骨は新し
い大五輪塔の下に埋葬したそうです。四角い墓石の正面に「前備州太守桃巌道見大禅定門〔
信秀公の法名〕」・左側面に「織田武蔵守信行公」・右側面に「柴田修理勝家公」と書かれ
、三基の五輪塔も三者のものではないかとされています。





主郭・城山八幡宮駐車場



末森城址の石碑・主郭



二の郭・昭和塾堂・愛知学院大学大学院




丸馬出が在った唐門・城山八幡宮



主郭北の曲輪・城山八幡宮



城山八幡宮を囲む横堀



馬出し曲輪・城山八幡宮西側







主郭南側の横堀







主郭への石段・城山八幡宮入口

 

織田信行建立の桃巌寺〔写真:左〕織田信行墓所・桃巌寺〔写真:右〕