淡路 洲本城

Sumoto castle

       洲本城跡【兵庫県洲本市小路谷・山手1丁目】
    淡路文化史料館【兵庫県洲本市山手1丁目1−27】
神戸地方検察庁洲本支部【兵庫県洲本市山手1丁目1−23】
神戸地方裁判所洲本支部【兵庫県洲本市山手1丁目1−18】
      洲本税務署【兵庫県洲本市山手1丁目1−15】

【立地】山城
【別称】三熊城・須本城

【国指定史跡】洲本城跡〔上の城〕
【市指定史跡】洲本城跡〔下の城〕

【歴史】洲本城の創築は、1526年安宅治興とされ、現在は三熊山〔標高133m、比高
130m〕を中心に東西700mに亘って曲輪が並び、総石垣造りとなっている。1350
年紀伊熊野水軍の一族である安宅氏が淡路に進出し、安宅頼藤が室町幕府の命を受けて四国
の海賊を討伐した功績で阿波国竹原荘本郷地頭職となった。その後、淡路安宅氏は紀淡海峡
の成ヶ島に由良城、洲本川河口に炬口城などを築き、熊野本家から独立して勢力を広げた。
細川氏に仕えた後、三好氏と繋がりを持つようになり、1536年三好4兄弟〔長慶・義賢
・冬康・一存〕の冬康を養子に迎えた。1554年三好4兄弟が洲本城に集まり、第1回洲
本会議が開かれ、1560年第2回洲本会議では三好4兄弟による畿内制圧が話し合われた
。しかし、兄弟が相次いで亡くなり、1564年冬康もまた長兄長慶との仲違いによって自
害させられた。冬康没後、長男信康→次男清康と家督が継がれ、1581年信長による淡路
征伐の際、豊臣秀吉軍に降伏する。程なくして清康も没し、1582年洲本城は秀吉の家臣
仙石秀久に与えられ、安宅氏の遺児は豊臣秀長に仕えたが、「大坂の陣」で豊臣方に付いた
ことで滅亡した。1585年仙石秀久は讃岐国高松城へ移り、大和国高取から脇坂安治が3
万石で入り、本格的な洲本城の改修を行う。その間、1587年「九州征伐」、1590年
「小田原征伐」、1592年「文禄の役」、1600年「関ヶ原の戦い」の参戦し、東軍に
属して所領を安堵され、3万石で洲本藩を立藩するが、1609年脇坂安治は伊予国大洲へ
転封となる。洲本城は藤堂高虎に預けられ、仙石・脇坂時代から続く改修工事が止められた
。1610年淡路は姫路藩主池田輝政に与えられ、三男忠雄〔淡路6万石〕を由良成山城に
入れ、洲本城は廃された。1613年池田輝政が病没、1615年池田忠雄は備前国岡山へ
移り、洲本は廃藩・廃城となる。代わって「大坂の陣」の功により、阿波国徳島藩主蜂須賀
至鎮に淡路一国が加増され、藩家老の稲田修理亮示種〔2万石〕が城代として由良城へ入る
。しかし、由良は狭小で城下の経営が難しいことから、1630年幕府へ由良城を廃して洲
本移転を申請→承認を得て、1631年洲本城「上の城」は使わず、北麓への移転〔由良引
け〕が始まり、武家屋敷・町屋・寺院などを移築、1635年に完了、洲本城「下の城」と
して幕末まで政庁として使われた。1869年6月徳島藩主蜂須賀茂韶が版籍奉還した際、
禄制改革において藩士を「士族」と「卒族」に分けることになった。この時、徳島藩家老で
洲本城代稲田邦稙の家臣らは、蜂須賀家からみれば陪臣〔家臣の家臣〕になるので、卒族に
編入された。これを不服とする稲田氏の家臣らは激しく抗議しても覆らず、ついに新政府に
嘆願した。佐幕派の蜂須賀に対し、稲田邦稙は尊王派であった。1870年この行動を蜂須
賀側の家臣らは許さなかった。農兵800人を率いて稲田氏の屋敷・家臣の長屋・別荘の武
山邸・益習館を襲撃。無抵抗の稲田側の家臣らは死者・重軽傷者を出した。騒動後、蜂須賀
側の家臣らに厳しい処分が下され、陣罪・終身流罪・禁固・謹慎などに処された〔稲田騒動
・庚午騒動〕。1871年廃藩置県の後、淡路島は兵庫県に編入され、稲田邦稙とその家臣
は士族と認める代わりに北海道日高国静内・新冠郡・根室国色丹島の開拓を命ぜられ、荒涼
とした極寒の地へ渡った。1928年模擬天守が建てられ、1999年洲本城「上の城」が
国指定史跡、2017年続日本100名城に選定されている。現在は洲本城「上の城」は三
熊山園地と称され、瀬戸内海国立公園内に在り、曲輪、石垣、井戸跡が残る。洲本城「下の
城」は史料館・検察庁・税務署・裁判所などが建ち並び、現在は石垣・濠が残る。

【所感】2000年頃から石垣の修復・木々の伐採が進み、徐々に総石垣造りの城が蘇って
来ています。将来的には「但馬竹田城」や「豊後岡城」のように建物が無くても、石垣だけ
で感動を与えられる城跡になって欲しいと願っています。海横の山頂にあることから、洲本
市街・洲本港・大浜海水浴場・淡路島の海岸線・大阪湾などが一望出来るので、登れない模
擬天守を廃し、写真が撮りたくなる見晴らしの良い展望台にしたいですね。





西の丸南面の石垣・「上の城」



西の丸南西角の石垣・「上の城」











西の丸・「上の城」



残念石・西の丸





西門・「上の城」







籾蔵・「上の城」



搦手門・「上の城」



南の丸西エリア 西面の石垣・「上の城」



南の丸西エリア・三熊梅林・「上の城」



南の丸西エリア 北面の石垣・「上の城」



南の丸西エリア 東面の石垣・三熊梅林・「上の城」



南の丸東エリア・三熊梅林・「上の城」



南の丸東エリア 北側の石垣・三熊梅林・「上の城」



南の丸東エリア 北側の石垣・「上の城」





南の丸東エリア 南端の多聞櫓台・「上の城」





南の丸東エリア 南東隅櫓台・「上の城」





南の丸東エリア・「上の城」



南の丸東エリア 東面の石垣・「上の城」



南の丸南東櫓門・「上の城」



本丸大石段・「上の城」







本丸大手虎口・「上の城」



本丸西端の多聞櫓台・「上の城」



本丸・「上の城」





小天守台・本丸・「上の城」



北方の景色・本丸・「上の城」



大天守台・本丸・「上の城」





模擬天守・本丸・「上の城」








本丸搦手虎口・「上の城」



本丸西側の郭・「上の城」











本丸石垣・「上の城」





山里郭・中務母義・「上の城」



山里郭南側の枡形虎口・「上の城」



水の手郭西エリア 上段の郭・東の丸・「上の城」



水の手郭西エリア 下段の郭・東の丸・「上の城」



水の手郭中央エリア 日月の井戸・東の丸・「上の城」



水の手郭中央エリア 日月の池・東の丸・「上の城」



水の手郭中央エリア 日月の池北側の石垣・東の丸・「上の城」





水の手郭東エリア・東の丸・「上の城」





水の手郭東エリア 南東隅櫓台・東の丸・「上の城」





水の手郭東エリア 南面の石垣〔上段〕・東の丸・「上の城」



水の手郭東エリア 南面の石垣〔下段〕・東の丸・「上の城」



大手門跡・「上の城」



馬屋・「上の城」



八王子木戸・東の丸・「上の城」





八王子木戸東横の櫓台・東の丸・「上の城」





二段郭下段 西面の石垣と北西隅櫓台・東の丸・「上の城」



二段郭下段・東の丸・「上の城」



二段郭下段 南面の石垣・東の丸・「上の城」



二段郭上段〔鷲之間〕・東の丸・「上の城」



二段郭上段〔鷲之間〕 西面の石垣・東の丸・「上の城」



二段郭上段〔鷲之間〕 南面の石垣・東の丸・「上の城」



二段郭上段〔鷲之間〕 北面の石垣・東の丸・「上の城」









二段郭上段〔鷲之間〕 東端の櫓台と多聞櫓台・東の丸・「上の城」



二段郭上段〔鷲之間〕 南側の郭・東の丸・「上の城」





東の丸東面の石垣・「上の城」



東登り石垣・「上の城」






東二の門・「上の城」









武者溜・「上の城」





武者溜 南面の石垣・「上の城」





武者溜 北面の石垣・「上の城」



東二の門・武者溜・「上の城」











洲本城跡・「下の城」