駿河 駿府代官所
Sunpu chief administrator place

駿府代官所跡・浮月楼【静岡県静岡市葵区紺屋町11−1】
ハグコーヒー紺屋町店【静岡県静岡市葵区紺屋町11−1】
 稲森パーキング7号【静岡県静岡市葵区紺屋町11−7】
       宝台院【静岡県静岡市葵区常盤町2丁目13−2】
 ピュアクリーニング【静岡県静岡市葵区西草深町32−1】

【立地】平地
【別称】駿府紺屋町陣屋・紺屋町役所

【歴史】1642年より間宮忠次が駿府町奉行と代官を兼任していたが、1662年町奉行
の要請により代官兼任が廃止され、専任の駿府代官に諸星政照が就任した。この時、紺屋町
に陣屋が建てられた。寛永年間(1624〜1644年)、駿河各地に設置された代官は、
元禄年間(1688〜1704年)を中心に廃止、駿府代官に統合された。享保年間(17
16〜1736年)駿府代官支配は安倍・有渡・庵原・富士・志太・益頭6郡で5万910
1石余となり、1794年島田代官所を吸収し、駿河の幕領は駿府代官の管理下となった。
1838年領域が駿河・遠江・信濃国内に於いて8万104石となり、島田〔島田市〕・松
岡〔富士市〕・信濃飯島〔長野県上伊那郡飯島町〕に出張陣屋が置かれた。1868年徳川
家達が70万石の駿府藩主に任ぜられ、最後の駿府代官田上恭譲は駿府藩に業務を引き継が
れ、陣屋の歴史は終わった。1869年代官屋敷〔陣屋〕跡に静岡藩商法会所が建てられ、
謹慎が解けた15代将軍徳川慶喜の屋敷が築かれましたが、1888年徳川慶喜は西草深の
新邸を築いて移住した。現在は料亭となり、遺構は無い。

【所感】ハグコーヒー紺屋町店の角に紺屋町の石碑が在り、下の石板に「代官屋敷跡」のエ
リアが描かれています。浮月楼の敷地がその跡であり、日本庭園がその名残りとなります。
浮月楼の南西300mの場所に謹慎地となった宝台院が在ります。ここは徳川家康の側室・
西郷局(お愛の方)の菩提寺であり、大きな宝篋印塔の前に徳川慶喜公謹慎之地碑が建てら
れています。紺屋の屋敷から西草深へ移った先にも、県道354号線を挟んだピュアクリー
ニングの前〔三角地〕に徳川慶喜公屋敷跡の石碑が建てられています。駿府代官所とは直接
関係はありませんが、どうせならと思い、徳川慶喜公の史跡も追ってみました。





徳川慶喜公屋敷跡碑・浮月楼北の門横



徳川慶喜公屋敷跡碑・浮月楼西の門横



紺屋町碑・HUG COFFEEの角



徳川慶喜公謹慎之地碑・宝台院



西郷局〔お愛の方〕之墓・徳川家康公側室・徳川秀忠公生母・宝台院【市指定有形文化財】



徳川慶喜公屋敷跡碑・葵区西草深町15