遠江 諏訪原城
Suwabara castle

諏訪原城跡・諏訪神社【静岡県島田市金谷】
    アルム珈琲店【静岡県島田市菊川1182】
    ホテル美佳里【静岡県島田市菊川1030】


【立地】丘城
【別称】金谷城・扇城・牧野城・牧野原城

【国指定史跡】諏訪原城跡

【歴史】1569年武田信玄が金谷台地に築いた5砦の1つ諏訪原砦が前身とされる。この
時の城主は築城奉行の馬場美濃守信房〔信春・氏勝〕と云う。1573年武田信玄没後、高
天神城奪回を目指す嫡子勝頼は馬場信房、武田信豊に諏訪原城の築城を命ずる。守将は今福
丹波守顕倍、与力は諸賀下総守昌清、小泉隼人忠季。1575年「長篠、設楽ヶ原の戦い」
の後、家康は遠江の諸城攻略に乗り出し、諏訪原城にも攻撃をしかけた。2ヶ月間の攻防の
末、城主今福浄閑斎は討死、残った城兵は夜中に小山城へ逃亡して落城となった。城将は松
平周防守康親、城番は松平甚太郎、西郷孫九郎が務めた。その後も松平氏の出入りが繰り返
され、1582年空き城になり、1590年家康関東移封に伴い、廃城になったとされる。
現在は曲輪、空堀、土塁、井戸跡などが残り、国史跡に指定されている。

【所感】ホテル美佳里〔MIKAZATO〕が在る県道234号線、県道381号線の交差
点から県道234号線を南下し、400m程進んだ左手の脇道を入ると、直ぐ左に諏訪原城
跡専用の駐車場が在ります。アルム珈琲店、諏訪原公民館と同じ並びの西になります。駐車
場に縄張り図が在り、「順序」の看板に従って進むと、大方全体が周れるようになっていま
す。とにかく驚きは空堀の数と幅、深さ。20号まで名前が付いていますが、この空堀が本
丸、二の丸、三の丸、馬出しなど各曲輪を浮き彫りにしています。建物は無くとも、この空
堀群を見ているだけで心が躍ります。






大手南外堀



大手曲輪



大手北外堀




諏訪原城跡碑・惣曲輪



番小屋跡・惣曲輪





二の曲輪中馬出と三日月堀



二の曲輪中馬出から北へ延びる堀



二の曲輪北馬出と堀



薬医門・二の曲輪北馬出



二の曲輪−二の曲輪中馬出間の土橋





二の曲輪西外堀



仕切土塁北側の二の曲輪



二の曲輪を二分する仕切土塁



仕切土塁南側の二の曲輪



二の曲輪−本曲輪間の土橋





土橋から見た本曲輪西内堀



本曲輪西端の大きな土塁





本曲輪



本曲輪東内堀



カンカン井戸





水の手曲輪



水の手曲輪から見た二の曲輪東側の外堀



二の曲輪東内馬出



二の曲輪東内馬出外側の三日月堀





二の曲輪東馬出



二の曲輪南馬出






二の曲輪大手馬出の三日月堀





二の曲輪大手馬出・諏訪神社



二の曲輪−二の曲輪大手馬出し間の土橋





二の曲輪−二の曲輪大手馬出し間の外堀