三河 高正館
Takamasa yakata

    高正館跡【愛知県豊田市畝部西町高正】
     幸福寺【愛知県豊田市畝部西町屋敷51】
豊生ブレーキ工業【愛知県豊田市畝部西町大垣内40−1】

【立地】平城

【歴史】宇都宮左近将監泰藤〔後の大久保氏〕の孫神谷石見守高正が新田義貞に属して軍功を挙げ、和
田村〔岡崎市上和田町〕を領した。1374年泰藤の命により当地に移住したと云う。1392年高正
が没すると、子の高朝は菩提を弔う為、諸誉を招いて開山とし、幸福寺を創建した。1415年高朝が
没し、その後、神谷因幡守高重−神谷主殿助高元を経て、神谷又右衛門高宗は、1506年今川方へ与
した為、安祥城主松平長親に所領を没収され、駿河に逃れる。後に帰参して松平氏に仕えた。現在は雑
木林、住宅、畑地に変わり、遺構は無い。

【所感】県道239号線畝部西町城ヶ掘信号から西へ200m程進んだ豊生ブレーキ工業横の道を北上
し、400m進んだ左手の阿弥陀堂ふれあい広場、西神明社間の道を右へ入ると、左手に幸福寺が在り
ます。境内には高さ18mの大イチョウが聳え立ち、裏手の墓地に神谷氏、宇都宮三郎の墓所が在りま
す。館跡は幸福寺が在る区画の北東の辻辺りとされ、現在は雑木林、畑地、住宅が建ち、具体的な城域
は分かりません。




高正館跡辺り


 

神谷氏の墓・幸福寺〔写真:左〕宇都宮三郎の墓・幸福寺〔写真:右〕