遠江 高天神城
Takatenjin castle

      高天神城跡【静岡県掛川市上土方嶺向】
ダイイチシコウ静岡工場【静岡県掛川市上土方嶺向1847】
        テライ【静岡県掛川市上土方工業団地29−8 】

【立地】山城

【国指定史跡】高天神城跡

【歴史】鶴翁山山頂〔標高132m〕に在り、1416年今川了俊の築城とされるが、11
91年土方次郎義政が砦を築いたとも云われる。その後、1446年福島基正−1471年
福島正成−1536年小笠原春儀−1542年小笠原忠氏−1564年小笠原長忠が城主と
なる。今川氏没落後、高天神城は徳川家康の持ち城となり、城主は小笠原長忠が務めた。1
571年武田信玄が2万余の兵で遠江へ侵攻し、内藤昌豊に攻めさせたが、小笠原方の護り
が堅く撤退となった。1574年武田勝頼に攻められ落城。1575年家康は「長篠、設楽
ヶ原の戦い」で勝頼を敗った後、再び高天神城奪回へ動く。1578年本陣を横須賀城に置
き、6つの砦〔小笠山砦・三井山砦・火ヶ峰砦・能ヶ坂砦・獅子ヶ鼻砦・中村砦〕を築いて
高天神城を包囲、1580年兵糧攻めを始める。1581年榊原康政・本多忠勝らが西の丸
から攻め入り落城、焼滅、廃城となる。現在は曲輪、堀切、空堀、土塁、井戸が残る。

【所感】ダイイチシコウ静岡工場、テライの南に高天神城跡が在ります。搦手門跡から石段
を上ると、一城別郭式縄張の中央部に着きます。東側に三日月井戸跡・大河内政局石窟・的
場曲輪・本丸・御前曲輪・三の丸・追手門跡が在ります。西側に井楼曲輪・堂の尾曲輪・馬
場曲輪・袖曲輪・井戸曲輪・西の丸・馬場平が在ります。広い城郭に様々な遺構が在り、武
田・徳川の歴史で重要な意味を持つ高天神城。国指定史跡に納得出来る内容です。







搦手口・搦手門跡



搦手道



搦手道途中の三ヶ月井戸



搦手道到着点





井戸曲輪



かな井戸・井戸曲輪




尾白稲荷・井戸曲輪



高天神城合戦将士英魂之碑・井戸曲輪





二の丸



袖曲輪



袖曲輪西側の馬出曲輪



堂の尾曲輪−袖曲輪間の堀切



堂の尾曲輪



井楼曲輪−堂の尾曲輪間の堀切





井楼曲輪



井楼曲輪北西の横堀と土塁



井楼曲輪西側の長い堀切





井楼曲輪西側の横堀



堂の尾曲輪西側の横堀



馬出曲輪西側の横堀



二の丸−腰曲輪間の横堀



二の丸西側の腰曲輪




甚五郎〔横田甚五郎尹松〕抜け道・別名:犬戻り猿戻り





馬場平



馬場平北西の横堀



馬場平−西の丸間の堀切





高天神社・西の丸(丹波曲輪)



高天神社社務所・西の丸



西の丸南東尾根道・堀切1本目へ行く尾根道







西の丸南東尾根の堀切1本目



西の丸南東尾根道・堀切2本目へ行く尾根道





西の丸南東尾根の堀切2本目



的場曲輪西側の腰曲輪





的場曲輪



大河内政局石窟



本丸北端の土塁



本丸西端の土塁





本丸



元天神社・御前曲輪



御前曲輪





本丸への道



三の丸西側の腰曲輪





三の丸



三の丸から見た富士山





追手道





着到櫓跡



追手門跡・追手道



追手道



追手口