尾張 高藪城
Takayabu castle

高藪城跡【愛知県知多郡東浦町緒川字屋敷参区】

【立地】丘城

【歴史】源満政の後裔浦野重遠の子重房が知多郡英比郷小川村に住み、小川三郎重房を名乗って尾張小
川氏の始祖になったと云う。重房の子重清は、1221年「承久の乱」で朝廷方(後鳥羽上皇)で参戦
して敗れ、美濃で戦死。ともに戦った重清の子清房〔養子〕は、伯父の関白近衛家実のもと隠れて死を
免れた。乱後、清房は小河村の地頭職に任ぜられ、雅経−雅継−胤雅−光氏と続いた。代々高藪城に住
んだが、1360年土岐直氏来襲の際、小川正房が高藪城を放棄し、先祖小川氏八代の墳墓が在った濁
池に砦を急造して防いだが、雅兼・重勝・信成・信忠の四子とともに滅びたと云う。その後裔五代はお
よそ100年間各地を潜行して、水野貞守が当地に復した。現在は住宅に変わり、遺構は無い。


【所感】場所は屋敷参区の中央辺りから現在も残る小川が流れる谷筋〔弁天ちびっこ広場の南〕の間が
高藪地頭屋敷〔高藪城〕とされます。高藪城を含めた緒川の城館は、この谷筋を1つの区切りとしてい
るようで、丘陵を割く堀〔堀切〕のような役目であったと思われます。蓬左文庫蔵の「知多郡緒川村古
城之図」には谷側に土塁が書かれてあり、北方からの攻撃を警戒してのことと思われます。今回の訪城
で、この谷筋が高藪城や緒川城を考える上で重要なポイントであることに気付きました。


 

高藪地頭屋敷跡南端の道〔写真:左〕谷筋の北に在る弁天ちびっこ広場〔写真:右〕